2012年 01月 30日
以前は、会社帰りにフラ~っとブックオフに立ちよる時間もあったのになあ..と思いながら
「読む~?」と一時帰国した同僚から回ってきたフランス特集の日本の雑誌。
「最近できたこのブティック知ってる?今パリジェンヌ達に凄く人気のブティックなんだってね」と、周りのフランス人に言っても、逆に「エッ!?そうなの?何でそんな事知ってるの?」って聞き返されることの多いこのフランスの一般社会で生活していると、この手の雑誌のフランス情報の密度の濃さは、相変わらず凄いなあと思います。
ある方のお話によれば、日本では、購読数が落ちたらパリ特集にすれば、確実に販売数が伸びると言われているとか。
でも、こういう雑誌のお蔭で、業界の人間同様の新しい情報を一般日本人の方が持つことができ、勿論、在仏の私もそのおこぼれに授かっているという訳です。
そこにあるのは、フランスの一部の限られた本当に単なる情報でしかないんですけどね。
でも、そういう雑誌で紹介される美しい女性達、そして素敵な生活に魅せられ、フランスで
生活したら…と夢見る女性達もいるんじゃないかな。
ワーホリでフランスに来ていた若い元同僚達と食事をする時、彼女達が「あの時は…」で語るフランス生活の思い出は、渡仏した時の年齢も、目的も違うのに不思議な位に似ています。
「憧れていたフランス生活がこんなものだとは思わなかった」
「昼間は言葉の通じないストレスに悩まされ、夜一人でアパートに帰ると、初めは便利と
思って選んだ家具つきのアパートには、いつまで経っても自分の部屋じゃないストレスが
あって、終始緊張している感じでした」
「フランス人の朝食は、カフェ・オレにパン・オー・ショコラか、クロワッサンって、よく書いてあるでしょ。だから、私も..と思って、パン屋さんに行ったけれど、日本円で計算すると凄く高くてビックリ!そのうちそんなに毎日バターたっぷり、パリパリ、フワッとしたクロワッサンを一般
仏人達は食べていないって知りました」
「日本にいた時は、別に~!と思っていた日本食が恋しくて、日本食材やさんで買った貴重なお醤油をうっかりこぼした時なんか泣きそうでした。そんな事で涙が出そうになる自分が情けなかったわ」
「日本から遊びに来た友人達から、“パリに住んでるから当然知ってるでしょ?今流行ってる
ブティック連れていって”って言われるけれど、そんな所行った事ないし、行っても買えない。日本にいた時は感じなかった差が友人との間にできたようで、何だか自分が凄―くみじめに感じました」
「もう話せるでしょ?って日本から遊びにきた親や友人達から言われる度に、そんなに簡単なもんじない!って思いながら黙ってしまう自分が辛かった」..etc
日本にいた頃には、想像もしていなかったストレスだったと思います。
日本人同士でいたら語学は堪能にならないと、日本人との関わりを一切たって、フランス人とだけ生活をする人もいます。
勿論、言葉ができれば買い物などの日常生活にも病気をしても、何の支障もきたさないかも
しれません。
でも言葉だけじゃない、言葉で乗り越えられないものがあります。
真面目であればあるほど、このフランス人の適当さが嫌になっていきます。
滞在許可証の申請の為に、言われた通りの書類を用意して行ったのに、朝から並んでやっと順番が来たと思ったら、書かれていない書類を窓口の人から要求され、それを抗議しても
「私がいるって言っているんだから!」で、却下され、その日は帰らなきゃいけない。
郵便を送っても届く保証はないこの国。
地下鉄やバスが交通手段だというのに、しょっちゅうストや故障で動かない、遅れる..etc
今年も渡仏した若き元同僚から「帰国してしばらくは思い出したくもない仏生活だったけれど、ようやく笑って思い出にできるようになりました」と聞かされた数日後、ずっと心の中で気になっていた人がパリにやってきました。
パリを離れた最初の年、かなり身体を壊しているとお母様から聞いていました。
あれから5年、街でポスターを見るたび、映画を見るたび、流れるコマーシャルを見るたびに
主演者であるその女優さんが、振り返った瞬間の顔に、帰国してしまった彼女の顔がいつもオーバーラップし、そのたびに“元気でいるかなあ”と気になっていました。
きっと、ご本人は「えーーー!!」って言うでしょうけどね。
「自分はどこまでいっても自分以外の自分はいない!」と豪語する№2から言わせれば
「似てないし、そんなの失礼だぞッ!」と言いますが、私にはそう見えるんだけどなあ。

「おばちゃ~ん♪」


そうやって私に呼びかける懐かしい声は、明るく、伸びやかで、昔と全く変わっていません
でした。
日頃この心優しきかよわき母へ呼びかける際の、野太い声は眼をつぶるとしても、なんで
「お母さんッ !」と促音が入ったり、「おかあ~さん!」と強弱つけて話しかけられなきゃ
いけないのか、大いに疑問ですが、きっと「何故?」聞いても、いつものように軽く小馬鹿に
した感じで肩をすくめるだけの№2とは、何たる違いでありましょうや。
その甘い声を聞いただけで、このおばさん、自然に笑顔になってしまいましたね。
血縁関係というもので括るなら、実は、私とKeiraちゃんは伯母と姪の関係ではありません。
でも、彼女のお父様とは、一時、兄妹のような感じで育ち、その後その兄のような人とご結婚されたお母様とも、小学生の頃から知っている存在でした。
だから、そんなKeiraちゃんを 他の方に紹介する時、私はいつも心の中で感じるままに
少し胸を張って「私の姪です!」と言っていました。
何も知らない人から「美人な姪ごさんですねぇ、おばさんの方の姪ごさん?」って言われる
たびに、自分の事を褒められた訳でもないのに、とても嬉しくて仕方がありませんでした。
そのKeiraちゃんは、高校生の頃からの夢だったフランス語学留学を大学を卒業し就職しても持ち続け、今から7年前、我が家にやってきました。
子供を持つなら男の子がいいと思っていた私ですが、そんな私に、女の子と一緒に暮らす
楽しさを教えてくれたのがKeiraちゃんでした。
仏語を学ぶ為のフランス留学だったのに、思春期に入って難しくなり始めた№2の気持ちを、根気よく聞いてくれたり、叱ったり…まるで実姉のように№2の面倒をみてくれました。
そして№2との話が終わったら、オットと№2のギクシャクした関係に悩む私の愚痴を聞いて
くれる….
Keiraちゃんのそんな優しさに私達親子はすっかり甘えていました。
だから「半年たったら、一人暮らししようと初めから決めていたので…」とおずおずと一人暮らしをしたいと言い出された時、悪いなと心の中では思いながらも、見えるものを見ないようにしてKeiraちゃんに頼り切っていた自分が恥ずかしくなりました。
そして、きっと話すタイミングを毎日悩んでいたんだろうなって思うと、申し訳なさで一杯になりました。
私としては、一人娘を手放すような寂しさはありましたが、心から彼女の第2のフランス生活を応援したいと思いました。
でも、自己中心の№2にとっては、Keiraお姉ちゃんが我が家を離れる事は、大ショックな
出来事でした。
「どうしてなんだよぉー!」と、その原因はわが母親だけにあるんだとばかりに、しばらくの間、私と話をすることもしませんでした。
そんな風にパリでの一人暮らしをスタートしたKeiraちゃんとは、時々一緒に食事をして、近況を報告しあったりしていましたが、そのうち、食事のバランスが悪いのかスラリとした体形が、初めてフランスへの憧れを私に話した高校生の時のように、パンパンになっていきました。
勉強にアルバイトの大変さ、そしてあまりにも日本とは違うフランスでの生活からくるストレスかなあと思いました。
「Keiraちゃん、そろそろ帰国したほうがいいかもね」
そんな言葉を何度言おうと思ったか分かりません。
でも、それは本人が決める事。
あれほど高校生の時から憧れたフランスを嫌になってほしくないなあと思いました。
Keiraちゃんのキラキラした思いをドンドン暗いものにさせているものは一体何なのか、自分も経験しワーホリ女子達も経験した事かもしれないと、ある程度想像はできても、本当の事は分かりませんでした。
でも、もしKeiraちゃんが、かつての私のように日本よりこの国の方が自分らしく呼吸できる
って選んだなら、精一杯支えてあげようと思いました。
それからしばらく経って、彼女が出した結論は、帰国でした。
そして、それから5年、今、こうしてヨーロッパの出張の最後の日にパリに立ち寄ってくれたKeiraちゃんは、初めて会った時のようにキラキラしていました。
実は、私、自分の老化を十分自覚する日々なので、失礼な事に、若いKeiraちゃんもきっと
5年分老けてしまっているかしら?会った時そんな風に感じた事が顔に出たらどうしようって思っていたんです。
でもそんな心配は、必要ありませんでした。
なかなか一度離れると見つけにくい仕事もちゃんと見つかって、充実したキャリアウーマンの生活をしているようで、おばさんとしてはホッとしました。
あの時よりは、少しは大人になったと本人は思いこんでいる№2と合流し、ワイワイガヤガヤ楽しく食事をし、その後、オットとも合流し、もう一度離れていた間のお互いの物語を語って
この5年分の会話を楽しみました。
翌日は帰国するというKeiraちゃんを№2は空港まで見送ったとか..。
Keiraちゃん、そしてKeiraちゃんのお姉さんであるT美ちゃん、生意気でどうしようもない
奴だけど、これからも懲りずにずっと№2のお姉ちゃん達でいてくださいね。

ご両親、そしてKeiraちゃん姉妹から、こんなにたくさんのお土産をいただきました。

このおばさんには、美容グッズも一杯でした。

袋一杯に入ったお土産の中には美味しい日本のお菓子も入っていて、写真を取る前にみんなのお腹の中に消えました。Keiraちゃん、スミマセン。
こんな嬉しい再会があった翌日、同じアパートの住民宅に紛れ込んでいたという事で、届け
られたS子さんからのプレゼンント。

本当にいつも有難う。
こんな風に優しい気持ちに守られ、私の2012年はスタートしました。
「読む~?」と一時帰国した同僚から回ってきたフランス特集の日本の雑誌。
「最近できたこのブティック知ってる?今パリジェンヌ達に凄く人気のブティックなんだってね」と、周りのフランス人に言っても、逆に「エッ!?そうなの?何でそんな事知ってるの?」って聞き返されることの多いこのフランスの一般社会で生活していると、この手の雑誌のフランス情報の密度の濃さは、相変わらず凄いなあと思います。
ある方のお話によれば、日本では、購読数が落ちたらパリ特集にすれば、確実に販売数が伸びると言われているとか。
でも、こういう雑誌のお蔭で、業界の人間同様の新しい情報を一般日本人の方が持つことができ、勿論、在仏の私もそのおこぼれに授かっているという訳です。
そこにあるのは、フランスの一部の限られた本当に単なる情報でしかないんですけどね。
でも、そういう雑誌で紹介される美しい女性達、そして素敵な生活に魅せられ、フランスで
生活したら…と夢見る女性達もいるんじゃないかな。
ワーホリでフランスに来ていた若い元同僚達と食事をする時、彼女達が「あの時は…」で語るフランス生活の思い出は、渡仏した時の年齢も、目的も違うのに不思議な位に似ています。
「憧れていたフランス生活がこんなものだとは思わなかった」
「昼間は言葉の通じないストレスに悩まされ、夜一人でアパートに帰ると、初めは便利と
思って選んだ家具つきのアパートには、いつまで経っても自分の部屋じゃないストレスが
あって、終始緊張している感じでした」
「フランス人の朝食は、カフェ・オレにパン・オー・ショコラか、クロワッサンって、よく書いてあるでしょ。だから、私も..と思って、パン屋さんに行ったけれど、日本円で計算すると凄く高くてビックリ!そのうちそんなに毎日バターたっぷり、パリパリ、フワッとしたクロワッサンを一般
仏人達は食べていないって知りました」
「日本にいた時は、別に~!と思っていた日本食が恋しくて、日本食材やさんで買った貴重なお醤油をうっかりこぼした時なんか泣きそうでした。そんな事で涙が出そうになる自分が情けなかったわ」
「日本から遊びに来た友人達から、“パリに住んでるから当然知ってるでしょ?今流行ってる
ブティック連れていって”って言われるけれど、そんな所行った事ないし、行っても買えない。日本にいた時は感じなかった差が友人との間にできたようで、何だか自分が凄―くみじめに感じました」
「もう話せるでしょ?って日本から遊びにきた親や友人達から言われる度に、そんなに簡単なもんじない!って思いながら黙ってしまう自分が辛かった」..etc
日本にいた頃には、想像もしていなかったストレスだったと思います。
日本人同士でいたら語学は堪能にならないと、日本人との関わりを一切たって、フランス人とだけ生活をする人もいます。
勿論、言葉ができれば買い物などの日常生活にも病気をしても、何の支障もきたさないかも
しれません。
でも言葉だけじゃない、言葉で乗り越えられないものがあります。
真面目であればあるほど、このフランス人の適当さが嫌になっていきます。
滞在許可証の申請の為に、言われた通りの書類を用意して行ったのに、朝から並んでやっと順番が来たと思ったら、書かれていない書類を窓口の人から要求され、それを抗議しても
「私がいるって言っているんだから!」で、却下され、その日は帰らなきゃいけない。
郵便を送っても届く保証はないこの国。
地下鉄やバスが交通手段だというのに、しょっちゅうストや故障で動かない、遅れる..etc
今年も渡仏した若き元同僚から「帰国してしばらくは思い出したくもない仏生活だったけれど、ようやく笑って思い出にできるようになりました」と聞かされた数日後、ずっと心の中で気になっていた人がパリにやってきました。
パリを離れた最初の年、かなり身体を壊しているとお母様から聞いていました。
あれから5年、街でポスターを見るたび、映画を見るたび、流れるコマーシャルを見るたびに
主演者であるその女優さんが、振り返った瞬間の顔に、帰国してしまった彼女の顔がいつもオーバーラップし、そのたびに“元気でいるかなあ”と気になっていました。
きっと、ご本人は「えーーー!!」って言うでしょうけどね。
「自分はどこまでいっても自分以外の自分はいない!」と豪語する№2から言わせれば
「似てないし、そんなの失礼だぞッ!」と言いますが、私にはそう見えるんだけどなあ。

「おばちゃ~ん♪」
そうやって私に呼びかける懐かしい声は、明るく、伸びやかで、昔と全く変わっていません
でした。
日頃この心優しきかよわき母へ呼びかける際の、野太い声は眼をつぶるとしても、なんで
「お母さんッ !」と促音が入ったり、「おかあ~さん!」と強弱つけて話しかけられなきゃ
いけないのか、大いに疑問ですが、きっと「何故?」聞いても、いつものように軽く小馬鹿に
した感じで肩をすくめるだけの№2とは、何たる違いでありましょうや。
その甘い声を聞いただけで、このおばさん、自然に笑顔になってしまいましたね。
血縁関係というもので括るなら、実は、私とKeiraちゃんは伯母と姪の関係ではありません。
でも、彼女のお父様とは、一時、兄妹のような感じで育ち、その後その兄のような人とご結婚されたお母様とも、小学生の頃から知っている存在でした。
だから、そんなKeiraちゃんを 他の方に紹介する時、私はいつも心の中で感じるままに
少し胸を張って「私の姪です!」と言っていました。
何も知らない人から「美人な姪ごさんですねぇ、おばさんの方の姪ごさん?」って言われる
たびに、自分の事を褒められた訳でもないのに、とても嬉しくて仕方がありませんでした。
そのKeiraちゃんは、高校生の頃からの夢だったフランス語学留学を大学を卒業し就職しても持ち続け、今から7年前、我が家にやってきました。
子供を持つなら男の子がいいと思っていた私ですが、そんな私に、女の子と一緒に暮らす
楽しさを教えてくれたのがKeiraちゃんでした。
仏語を学ぶ為のフランス留学だったのに、思春期に入って難しくなり始めた№2の気持ちを、根気よく聞いてくれたり、叱ったり…まるで実姉のように№2の面倒をみてくれました。
そして№2との話が終わったら、オットと№2のギクシャクした関係に悩む私の愚痴を聞いて
くれる….
Keiraちゃんのそんな優しさに私達親子はすっかり甘えていました。
だから「半年たったら、一人暮らししようと初めから決めていたので…」とおずおずと一人暮らしをしたいと言い出された時、悪いなと心の中では思いながらも、見えるものを見ないようにしてKeiraちゃんに頼り切っていた自分が恥ずかしくなりました。
そして、きっと話すタイミングを毎日悩んでいたんだろうなって思うと、申し訳なさで一杯になりました。
私としては、一人娘を手放すような寂しさはありましたが、心から彼女の第2のフランス生活を応援したいと思いました。
でも、自己中心の№2にとっては、Keiraお姉ちゃんが我が家を離れる事は、大ショックな
出来事でした。
「どうしてなんだよぉー!」と、その原因はわが母親だけにあるんだとばかりに、しばらくの間、私と話をすることもしませんでした。
そんな風にパリでの一人暮らしをスタートしたKeiraちゃんとは、時々一緒に食事をして、近況を報告しあったりしていましたが、そのうち、食事のバランスが悪いのかスラリとした体形が、初めてフランスへの憧れを私に話した高校生の時のように、パンパンになっていきました。
勉強にアルバイトの大変さ、そしてあまりにも日本とは違うフランスでの生活からくるストレスかなあと思いました。
「Keiraちゃん、そろそろ帰国したほうがいいかもね」
そんな言葉を何度言おうと思ったか分かりません。
でも、それは本人が決める事。
あれほど高校生の時から憧れたフランスを嫌になってほしくないなあと思いました。
Keiraちゃんのキラキラした思いをドンドン暗いものにさせているものは一体何なのか、自分も経験しワーホリ女子達も経験した事かもしれないと、ある程度想像はできても、本当の事は分かりませんでした。
でも、もしKeiraちゃんが、かつての私のように日本よりこの国の方が自分らしく呼吸できる
って選んだなら、精一杯支えてあげようと思いました。
それからしばらく経って、彼女が出した結論は、帰国でした。
そして、それから5年、今、こうしてヨーロッパの出張の最後の日にパリに立ち寄ってくれたKeiraちゃんは、初めて会った時のようにキラキラしていました。
実は、私、自分の老化を十分自覚する日々なので、失礼な事に、若いKeiraちゃんもきっと
5年分老けてしまっているかしら?会った時そんな風に感じた事が顔に出たらどうしようって思っていたんです。
でもそんな心配は、必要ありませんでした。
なかなか一度離れると見つけにくい仕事もちゃんと見つかって、充実したキャリアウーマンの生活をしているようで、おばさんとしてはホッとしました。
あの時よりは、少しは大人になったと本人は思いこんでいる№2と合流し、ワイワイガヤガヤ楽しく食事をし、その後、オットとも合流し、もう一度離れていた間のお互いの物語を語って
この5年分の会話を楽しみました。
翌日は帰国するというKeiraちゃんを№2は空港まで見送ったとか..。
Keiraちゃん、そしてKeiraちゃんのお姉さんであるT美ちゃん、生意気でどうしようもない
奴だけど、これからも懲りずにずっと№2のお姉ちゃん達でいてくださいね。

ご両親、そしてKeiraちゃん姉妹から、こんなにたくさんのお土産をいただきました。

このおばさんには、美容グッズも一杯でした。

袋一杯に入ったお土産の中には美味しい日本のお菓子も入っていて、写真を取る前にみんなのお腹の中に消えました。Keiraちゃん、スミマセン。
こんな嬉しい再会があった翌日、同じアパートの住民宅に紛れ込んでいたという事で、届け
られたS子さんからのプレゼンント。

本当にいつも有難う。
こんな風に優しい気持ちに守られ、私の2012年はスタートしました。




































