2009年 11月 16日
時は流れて...
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デジカメに嫌われたのでしょうか?
それとも、たまたま今だけ、PCがご機嫌斜めなのでしょうか?
それとも、自分では何もやっていないと思っていても、無意識にどこかを動かしたのかしら?
もう、わっかりませ~ん! ← でも、多分私です。
とにかくせっかく撮った写真の入力を拒否されてしまい、さらに入力済みの写真も
パソコン内で行方不明になりました。
こんな時いつもならすぐ№2に頼るんですが「エ~!又かよ~」って言われそう。
いいワ!今回は自力で何とかするって思ったけどメカにはまったく弱い私。
メカに強そうって思った人に聞きまくり、やっと迷子を発見!
ヨカッタ!!やったね!
そんなこんなで迷子の写真によるブログになっちゃったので、旬の話題ではなくってすみません。
時は11月11日の事でありまする~。ベン・ベン・ベ~ン!
とても寒い日でありました。
その日は第一次世界大戦の休戦記念日(Fête de l'Armistice)でした。
確かフランスはこの戦争で戦勝国になったはず。
だから、ご年配の方の中には戦勝記念日(Fête de la Victoire)って言う方もいますが最近では、公的に休戦記念日としています。いい事ですよね。
国の勝ち負けにかかわらず、どちらの国にも犠牲者がいる訳ですものね。
第一次大戦も今は遥か昔の出来事になりました。
ご経験された方々も100歳くらいになっているそう。
フランスに住み始めた時、第一次や二次の大戦時のモノトーンのドキュメンタリー
フイルムが頻繁にTVで放映されていたり、雑誌で特集が組まれたり、その頻度の
多さに“やっぱり日本と違うなあ”って思ったことがありました。
フイルムはただ歴史を淡々と語るだけですが、国家の犠牲になって亡くなられた方々へのオマージュや、戦争の悲劇を繰り返さないようにという現代人へのメッセージを感じます。
第一次大戦でドイツは負けてしまっただけでなく、その賠償金の支払いでドイツの
経済は圧迫され、それがナチズムへの台頭になっていったって、確か高校の時習ったなあ。
あれから時代は流れ、2日前にベルリンの壁崩壊20周年を迎えたドイツのメルケル首相が、初めて式典に出席しました。
そんな訳でシャンゼリゼには、フランスとドイツの国旗が仲良く並んでたなびいて
いました。
友人の頼まれ物がありヴィトンによる用事があってジョルジュVで降りたら、シャンゼリゼの大通りは交通止めになっていて、鉄柵がず----っと続いていました。
用事が終わってメトロに乗ろうとしたら、テープが張られ乗降禁止。
エーッ!12時までにオペラに行かなきゃいけないんですけど....。
仕方がない、コンコルドまで歩くしかないかしら?って歩き始めましたが、この日はかなり冷え込み、と・に・か・く寒い!メチャクチャ寒い!
7月14日の記念日と違って観光客も、殆どいません。
休日出勤しているカフェのおじさんは、陽気なボーダー柄のTシャツを着ていましたが、寒さのせいで、お顔は、全く陽気には見えません。
なんだか勢いのありそうな火柱ではありましたが、やはりカフェに人がいないんじゃあまり暖かく見えません。
それにしても反対側に渡りたいんだけどなあ、どっか渡れるところないかなあ。
アッ!発見しました。
細く開けられた柵の間をすり抜けて大通りを横切ったら、なーんていいポジション!
遥か彼方すぎる場所ではありますが、凱旋門が見えました。
あの煙っているように見える塊は、セレモニー中のサルコジさん達でありましょう。
「急いで!急いでください!」の声にせかされ、たった15分で再び柵は閉じられてしまいましたが、私は、やっとこれでコンコルドの方へ。
と思って歩き始めたら、今度は大通りだけでなく横の通りにも柵が...。
エーッ、どーしてって思っていたら、爆音と共に、バイクが次々と目の前を..。
そして、黒塗りの車が何台も閉鎖されている通りを曲がって行きました。
セレモニーが終わったサルコジさん達がエリゼ宮に向かう為の閉鎖でした。
これが終わったら、騎馬隊、騎兵隊のパレードだそう。
せっかくなので見たい気もしましたが、寒くて何だか胃も痛くなり、オペラ座前での友人との待ち合わせに間にあわなくなるので、肝心のパレードは断念しました。
あっちこっちが封鎖されているので「オペラ座に行くにはどうしたら?」と、近くにいた警備の方に伺ったら「あそこの小道を抜けたらXXXにぶつかるので、その裏の通りを通って、次の通りを右にグルーって回ってください」とのこと。
公園を通り抜けやっとサントノレ通りに着きました。
先程、通過されたサルコジさん達は、暖かいエリゼ宮で、今頃アペリティフかしら?
警備の兵士さん達もとても寒そうでした。御苦労さまです。
お年寄りのフランス人に中には、第二次大戦中に、ドイツがした事を忘れられない!絶対に忘れてはいけない!過去の事にしてはいけない!っておっしゃる方がいます。
又、一部の若者の中にネオナチズムの考えが、広がっているのも事実。
時は流れ、政治的経済的戦略でのお近づきかもしれませんが、ドイツとフランスの
国旗が、仲良く並ぶ時代になりました。
歴史から何を学ぶか、学ばなきゃいけないのか考えさせられた日でもありました。
それとも、たまたま今だけ、PCがご機嫌斜めなのでしょうか?
それとも、自分では何もやっていないと思っていても、無意識にどこかを動かしたのかしら?
もう、わっかりませ~ん! ← でも、多分私です。
とにかくせっかく撮った写真の入力を拒否されてしまい、さらに入力済みの写真も
パソコン内で行方不明になりました。
こんな時いつもならすぐ№2に頼るんですが「エ~!又かよ~」って言われそう。
いいワ!今回は自力で何とかするって思ったけどメカにはまったく弱い私。
メカに強そうって思った人に聞きまくり、やっと迷子を発見!
ヨカッタ!!やったね!
そんなこんなで迷子の写真によるブログになっちゃったので、旬の話題ではなくってすみません。
時は11月11日の事でありまする~。ベン・ベン・ベ~ン!
とても寒い日でありました。
その日は第一次世界大戦の休戦記念日(Fête de l'Armistice)でした。
確かフランスはこの戦争で戦勝国になったはず。
だから、ご年配の方の中には戦勝記念日(Fête de la Victoire)って言う方もいますが最近では、公的に休戦記念日としています。いい事ですよね。
国の勝ち負けにかかわらず、どちらの国にも犠牲者がいる訳ですものね。
第一次大戦も今は遥か昔の出来事になりました。
ご経験された方々も100歳くらいになっているそう。
フランスに住み始めた時、第一次や二次の大戦時のモノトーンのドキュメンタリー
フイルムが頻繁にTVで放映されていたり、雑誌で特集が組まれたり、その頻度の
多さに“やっぱり日本と違うなあ”って思ったことがありました。
フイルムはただ歴史を淡々と語るだけですが、国家の犠牲になって亡くなられた方々へのオマージュや、戦争の悲劇を繰り返さないようにという現代人へのメッセージを感じます。
第一次大戦でドイツは負けてしまっただけでなく、その賠償金の支払いでドイツの
経済は圧迫され、それがナチズムへの台頭になっていったって、確か高校の時習ったなあ。
あれから時代は流れ、2日前にベルリンの壁崩壊20周年を迎えたドイツのメルケル首相が、初めて式典に出席しました。
そんな訳でシャンゼリゼには、フランスとドイツの国旗が仲良く並んでたなびいて
いました。
友人の頼まれ物がありヴィトンによる用事があってジョルジュVで降りたら、シャンゼリゼの大通りは交通止めになっていて、鉄柵がず----っと続いていました。
用事が終わってメトロに乗ろうとしたら、テープが張られ乗降禁止。
エーッ!12時までにオペラに行かなきゃいけないんですけど....。
仕方がない、コンコルドまで歩くしかないかしら?って歩き始めましたが、この日はかなり冷え込み、と・に・か・く寒い!メチャクチャ寒い!
7月14日の記念日と違って観光客も、殆どいません。
休日出勤しているカフェのおじさんは、陽気なボーダー柄のTシャツを着ていましたが、寒さのせいで、お顔は、全く陽気には見えません。
なんだか勢いのありそうな火柱ではありましたが、やはりカフェに人がいないんじゃあまり暖かく見えません。
それにしても反対側に渡りたいんだけどなあ、どっか渡れるところないかなあ。
アッ!発見しました。
細く開けられた柵の間をすり抜けて大通りを横切ったら、なーんていいポジション!
遥か彼方すぎる場所ではありますが、凱旋門が見えました。
あの煙っているように見える塊は、セレモニー中のサルコジさん達でありましょう。
「急いで!急いでください!」の声にせかされ、たった15分で再び柵は閉じられてしまいましたが、私は、やっとこれでコンコルドの方へ。
と思って歩き始めたら、今度は大通りだけでなく横の通りにも柵が...。
エーッ、どーしてって思っていたら、爆音と共に、バイクが次々と目の前を..。
そして、黒塗りの車が何台も閉鎖されている通りを曲がって行きました。
セレモニーが終わったサルコジさん達がエリゼ宮に向かう為の閉鎖でした。
これが終わったら、騎馬隊、騎兵隊のパレードだそう。
せっかくなので見たい気もしましたが、寒くて何だか胃も痛くなり、オペラ座前での友人との待ち合わせに間にあわなくなるので、肝心のパレードは断念しました。
あっちこっちが封鎖されているので「オペラ座に行くにはどうしたら?」と、近くにいた警備の方に伺ったら「あそこの小道を抜けたらXXXにぶつかるので、その裏の通りを通って、次の通りを右にグルーって回ってください」とのこと。
公園を通り抜けやっとサントノレ通りに着きました。
先程、通過されたサルコジさん達は、暖かいエリゼ宮で、今頃アペリティフかしら?
警備の兵士さん達もとても寒そうでした。御苦労さまです。
お年寄りのフランス人に中には、第二次大戦中に、ドイツがした事を忘れられない!絶対に忘れてはいけない!過去の事にしてはいけない!っておっしゃる方がいます。
又、一部の若者の中にネオナチズムの考えが、広がっているのも事実。
時は流れ、政治的経済的戦略でのお近づきかもしれませんが、ドイツとフランスの
国旗が、仲良く並ぶ時代になりました。
歴史から何を学ぶか、学ばなきゃいけないのか考えさせられた日でもありました。
by kanafr
| 2009-11-16 08:25
| フランスの出来事
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Comments(2)
Commented
by
yumiyane at 2009-11-17 00:24
すごい、私も一緒にシャンゼリゼをJwalkした気分です。それにしても大統領が移動するときはいつもこんな交通規制があるんですか。
道の両側にこんな風にポリスが並んでるのって滅多にない光景ですね。いいシャッターチャンス、逃しませんね。
日本のヘッドが中国に行ったら、国旗が並ぶかどうかですよね。そんな緊張関係がドイツとフランスにはあるのですね。
観光で訪れるだけでは見れないフランス、これからもお願いします。
道の両側にこんな風にポリスが並んでるのって滅多にない光景ですね。いいシャッターチャンス、逃しませんね。
日本のヘッドが中国に行ったら、国旗が並ぶかどうかですよね。そんな緊張関係がドイツとフランスにはあるのですね。
観光で訪れるだけでは見れないフランス、これからもお願いします。
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Commented
by
kanafr at 2009-11-17 09:20
yumiyaneさん
7月14日の時とか、フランスにとって大事な式典の時、そうそう自転車のツール・ド・フランスやパリマラソンの時もゴールはシャンゼリゼなので、こういう交通規制があります。
写真で取れなかったのですが、普通のポリスの方と肩章つきの制服の方がこういう式典の時は見られます。すごく素敵ですよ。
又、このような事がある数日前には、1日がかりで通りの真ん中にある信号を外し、終わったら又取り付けるという作業が見られるんですよ。
大変な作業ですよね。
それに公式な訪問の場合、必ずシャンゼの通りにはこのドイツの国旗のようにフランスとその国の国旗が並びます。
今はモロッコの王様がきているようですよ。
ところで一番上の写真にご注目!国旗のすぐ後ろの並木に白いビーズみたいなのがいくつも垂れ下がっているのが見えるでしょう?
今年は例年より半月も早い10月中旬から取り付けられたクリスマスデコレーションです。ライティングはまだのようですが....。
7月14日の時とか、フランスにとって大事な式典の時、そうそう自転車のツール・ド・フランスやパリマラソンの時もゴールはシャンゼリゼなので、こういう交通規制があります。
写真で取れなかったのですが、普通のポリスの方と肩章つきの制服の方がこういう式典の時は見られます。すごく素敵ですよ。
又、このような事がある数日前には、1日がかりで通りの真ん中にある信号を外し、終わったら又取り付けるという作業が見られるんですよ。
大変な作業ですよね。
それに公式な訪問の場合、必ずシャンゼの通りにはこのドイツの国旗のようにフランスとその国の国旗が並びます。
今はモロッコの王様がきているようですよ。
ところで一番上の写真にご注目!国旗のすぐ後ろの並木に白いビーズみたいなのがいくつも垂れ下がっているのが見えるでしょう?
今年は例年より半月も早い10月中旬から取り付けられたクリスマスデコレーションです。ライティングはまだのようですが....。