2013年 08月 23日
何年経っても忘れない
|
メールなんていう便利なものがなかった頃の話。
フランスと日本の距離は、やはりかなりあって、日本じゃ考えられない配達事故も 数多くありました。
「お子さん、もうこんなに大きくなったんだ!」「お家、新築されたのね!」と、それまでのご無沙汰期間のギュッと詰まったニュースを、やっと届いた手紙の中の数行、数ページでしっかり把握するしかありませんでした。
ご家族やご家庭のご様子のお知らせニュースが多い中で、一時、頻繁にやり取りしていた彼女の手紙は、いつもひと味違っていました。
「こんな事がありました」の話も、書き手の巧さもあって、生き生きした情景が眼の前に広がってくるような楽しさがありました。
帰国した時は、学生時代を一緒に過ごした仲間が必ず集まってくれたけれど、それは一体何十年前になるのだろう。
そんな事も忘れてしまった位長い月日が経ちましたが、今でも最後に会ったあの夏の日の事は覚えています。
小さな柄のある白いワンピースを着て、足首がキュッと締まった綺麗な筋肉のついた足でスッスッと待ち合わせ場所に近づいてきた彼女は、学生時代と変わらずショートカットのヘアスタイルでしたが、すっかり雰囲気は、学生時代の「K美ちゃん」ではなく「K美さん」でした。
「もう檀家の方達の事とか、色々大変なのよぉ~」と言いながら、キラキラした幸せオ―ラに輝いて「ご住職の若奥様」の雰囲気もしっかり板についていました。
でも、何年も会わずに、それぞれが違った人生を歩き始めていても、すぐに学生時代のあの頃に帰れるのは、やはり同じ時間を過ごした色んな思い出があるからだって 思いました。
そのグループの中で、たった一人だけ東北の大船渡から来ていたacchiの夏の帰省に合わせて計画した旅行でした。
何でもない事なのに、一人が笑うとつられて誰かが笑いだし....
本当に箸が転がってもおかしいお年頃でした。
小岩井農場で牛のしっぽが顔に触ったと言っては大騒ぎし、「太るぅ~!」って言いながら濃い味のアイスをたっぷり食べたり….
あの頃の私達、色んな事がこれからあるだろうと心の片隅で少し慄きながら、未来はバラ色なんだって思っていたのん気な学生でした。
初めて見る東北の海は紺碧色に輝いて、空には雲一つない青空が広がっていました。
「遮るものがないから暑~い」と文句を言うと、acchiが笑いながら案内してくれた大きな松の木が並ぶ木陰。
吹き抜けていく風が涼しくて、東京がとっくになくしてしまった自然がそこにあり ました。
あれは、acchiのお宅でお世話になって2日目だったかしら?
彼女のお爺さんが小舟を出してくれ大船渡の海にこぎ出した時の事、みんなは覚えているかしら?
向こうから来た大型客船の大きな波に激しく揺れた小舟を、何とか元に戻そうと小舟の先頭に立つお爺さんが、1m位飛びあがった時の事を..。
あの時、もうダメかなあって思いながら、荒波と闘う海の男のお爺さんを凄くカッコいいなんて思っていたのよ。
そんな事を、もし今、K美ちゃんに言ったら、きっと昔のように「もう、kanaちゃんったら!」って弾けるような声で笑うかな?
いつも海辺で颯爽と泳ぐみんなと違って、一人だけカナヅチの私。
「このまま船が転覆したら、あんたを一番に助けなきゃいけないって思ってよぉ」とようやく揺れがおさまった船で言ったacchiのお爺さんの優しい笑顔を、今でも時々思い出すのよ。
その後、お爺さんが「ホラ!」と言って渡してくれた取れたての牡蠣やホタルイカ などの海の幸の数々。
今まで食べていたのは一体何だったんだろうって思う位、美味しかったよねぇ。
数日間のacchi宅の滞在の後、行った奥入瀬。
出発前に「お腹壊した時に飲みなさい」と旅行中の健康を心配してくださったacchiのお父様から渡されたウイスキーの角瓶に入った梅酒が、少し邪魔になりました。
「重いから、ここで飲んじゃおよ」って誰かが言いだし、奥入瀬渓流沿いのベンチに座って、みんなで飲んでいたら、観光バスで通るおばさん達から「今時の若い女の子達は!」って睨まれたっけ。
十和田湖のボートに乗ろうってしたけれど、ボート小屋のおじさんの方言がまったく分からず 入れ替わり立ち替わり聞きに行っても、それでも分からず結局ボートで 遊覧するのは諦め、ただ眺めるだけの十和田湖だったよね。
その十和田から青森に着いた頃には、何だか一斉に都会が恋しくなって、地味な喫茶店が続く駅前の通りの中でも、多少お洒落な感じのする喫茶店に飛びこんで、口々に頼んだ“フルーツパフェ”や“チョコレートパフェ”
でも「それって何ですか?そんな物、ありませんよ!」って言われて逆にビックリ したよね。
「東京に帰ったら、まず生クリームたっぷりのパフェを食べよう!」って頷きあった東北旅行最後の日。
そんな事の一つ一つが懐かしい思い出になりました。
「元気だった?」
簡単な言葉の中に、気持ちを一杯こめて交わすご無沙汰がわりの挨拶も、今は空を 見上げて「そっちで楽しんでるのかな?私達は元気よ」に変わりました。
一緒に行った東北の街の変わり果てた姿を、貴女はどう思うんだろう?
あの美しい紺碧の海も穏やかな自然も、その中で静かに暮らしていた人達も、あの頃には もう戻れない現実がある。
貴女を忘れないように、忘れてはいけない人達が、今もずっとあの東北にいる…。
K美ちゃんが逝って、今日で3年経ちました。
フランスと日本の距離は、やはりかなりあって、日本じゃ考えられない配達事故も 数多くありました。
「お子さん、もうこんなに大きくなったんだ!」「お家、新築されたのね!」と、それまでのご無沙汰期間のギュッと詰まったニュースを、やっと届いた手紙の中の数行、数ページでしっかり把握するしかありませんでした。
ご家族やご家庭のご様子のお知らせニュースが多い中で、一時、頻繁にやり取りしていた彼女の手紙は、いつもひと味違っていました。
「こんな事がありました」の話も、書き手の巧さもあって、生き生きした情景が眼の前に広がってくるような楽しさがありました。
帰国した時は、学生時代を一緒に過ごした仲間が必ず集まってくれたけれど、それは一体何十年前になるのだろう。
そんな事も忘れてしまった位長い月日が経ちましたが、今でも最後に会ったあの夏の日の事は覚えています。
小さな柄のある白いワンピースを着て、足首がキュッと締まった綺麗な筋肉のついた足でスッスッと待ち合わせ場所に近づいてきた彼女は、学生時代と変わらずショートカットのヘアスタイルでしたが、すっかり雰囲気は、学生時代の「K美ちゃん」ではなく「K美さん」でした。
「もう檀家の方達の事とか、色々大変なのよぉ~」と言いながら、キラキラした幸せオ―ラに輝いて「ご住職の若奥様」の雰囲気もしっかり板についていました。
でも、何年も会わずに、それぞれが違った人生を歩き始めていても、すぐに学生時代のあの頃に帰れるのは、やはり同じ時間を過ごした色んな思い出があるからだって 思いました。
その一つが、卒論や卒製で忙しくなる前に、K美ちゃんはじめ仲良しグループで
行った東北。
そのグループの中で、たった一人だけ東北の大船渡から来ていたacchiの夏の帰省に合わせて計画した旅行でした。
何でもない事なのに、一人が笑うとつられて誰かが笑いだし....
本当に箸が転がってもおかしいお年頃でした。
小岩井農場で牛のしっぽが顔に触ったと言っては大騒ぎし、「太るぅ~!」って言いながら濃い味のアイスをたっぷり食べたり….
あの頃の私達、色んな事がこれからあるだろうと心の片隅で少し慄きながら、未来はバラ色なんだって思っていたのん気な学生でした。
初めて見る東北の海は紺碧色に輝いて、空には雲一つない青空が広がっていました。
「遮るものがないから暑~い」と文句を言うと、acchiが笑いながら案内してくれた大きな松の木が並ぶ木陰。
吹き抜けていく風が涼しくて、東京がとっくになくしてしまった自然がそこにあり ました。
あれは、acchiのお宅でお世話になって2日目だったかしら?
彼女のお爺さんが小舟を出してくれ大船渡の海にこぎ出した時の事、みんなは覚えているかしら?
向こうから来た大型客船の大きな波に激しく揺れた小舟を、何とか元に戻そうと小舟の先頭に立つお爺さんが、1m位飛びあがった時の事を..。
あの時、もうダメかなあって思いながら、荒波と闘う海の男のお爺さんを凄くカッコいいなんて思っていたのよ。
そんな事を、もし今、K美ちゃんに言ったら、きっと昔のように「もう、kanaちゃんったら!」って弾けるような声で笑うかな?
いつも海辺で颯爽と泳ぐみんなと違って、一人だけカナヅチの私。
「このまま船が転覆したら、あんたを一番に助けなきゃいけないって思ってよぉ」とようやく揺れがおさまった船で言ったacchiのお爺さんの優しい笑顔を、今でも時々思い出すのよ。
その後、お爺さんが「ホラ!」と言って渡してくれた取れたての牡蠣やホタルイカ などの海の幸の数々。
今まで食べていたのは一体何だったんだろうって思う位、美味しかったよねぇ。
数日間のacchi宅の滞在の後、行った奥入瀬。
出発前に「お腹壊した時に飲みなさい」と旅行中の健康を心配してくださったacchiのお父様から渡されたウイスキーの角瓶に入った梅酒が、少し邪魔になりました。
「重いから、ここで飲んじゃおよ」って誰かが言いだし、奥入瀬渓流沿いのベンチに座って、みんなで飲んでいたら、観光バスで通るおばさん達から「今時の若い女の子達は!」って睨まれたっけ。
十和田湖のボートに乗ろうってしたけれど、ボート小屋のおじさんの方言がまったく分からず 入れ替わり立ち替わり聞きに行っても、それでも分からず結局ボートで 遊覧するのは諦め、ただ眺めるだけの十和田湖だったよね。
その十和田から青森に着いた頃には、何だか一斉に都会が恋しくなって、地味な喫茶店が続く駅前の通りの中でも、多少お洒落な感じのする喫茶店に飛びこんで、口々に頼んだ“フルーツパフェ”や“チョコレートパフェ”
でも「それって何ですか?そんな物、ありませんよ!」って言われて逆にビックリ したよね。
「東京に帰ったら、まず生クリームたっぷりのパフェを食べよう!」って頷きあった東北旅行最後の日。
そんな事の一つ一つが懐かしい思い出になりました。
「元気だった?」
簡単な言葉の中に、気持ちを一杯こめて交わすご無沙汰がわりの挨拶も、今は空を 見上げて「そっちで楽しんでるのかな?私達は元気よ」に変わりました。
一緒に行った東北の街の変わり果てた姿を、貴女はどう思うんだろう?
あの美しい紺碧の海も穏やかな自然も、その中で静かに暮らしていた人達も、あの頃には もう戻れない現実がある。
貴女を忘れないように、忘れてはいけない人達が、今もずっとあの東北にいる…。
K美ちゃんが逝って、今日で3年経ちました。
by kanafr
| 2013-08-23 09:11
| 心に残る素敵な人達
|
Trackback
|
Comments(12)
Commented
by
whitelacenonyo at 2013-08-23 21:34
旧友は何年会わなくても、再会すれば一気に時が昔を呼び
経過した時間を縮めてくれる有り難い存在ですね。
それが若い頃の想い出の共有なら尚更です。
今日のブログもユーモアたっぷりのkanaさんワールドでしたが
最後にしんみりしました。
早すぎる友の死は、鮮やかな想い出と共に心に刻まれますね。
私も中学時代の親友が6年前に亡くなり連絡を受けたとき、
箸が転んでもおかしい年頃を過ごし、
良妻賢母となった賢い友に静かに一人で別れを告げました。
経過した時間を縮めてくれる有り難い存在ですね。
それが若い頃の想い出の共有なら尚更です。
今日のブログもユーモアたっぷりのkanaさんワールドでしたが
最後にしんみりしました。
早すぎる友の死は、鮮やかな想い出と共に心に刻まれますね。
私も中学時代の親友が6年前に亡くなり連絡を受けたとき、
箸が転んでもおかしい年頃を過ごし、
良妻賢母となった賢い友に静かに一人で別れを告げました。
0
Commented
by
kimanba at 2013-08-23 21:50
kanafrさんの大切な思い出を一緒に辿らせていただきました♪
何もかもが貴重な楽しかった思い出となって
kanafrさんの中で今でも活き活きと息づいている事がよく解りました。
ああ一緒だなぁと頷きつつ私も
あの果てしなく続くと思われた学生時代の諸々を懐かしんでいましたニコニコ
私にとっては10年以上あったように思える不思議な時間で
人生の中で一番密度が濃かった時期だったように思えます。
そんな大切な時期に傍にいらっしゃったこのK美さん___
ブログでkanafrさんにこういう形で紹介して貰って
たくさんの方々がきっと
「こんな方がいらっしゃったんだ~♪わぁ素敵な方だったのだなぁ」と。
K美さん 恥ずかしがりながらも喜んでいらっしゃると思いますよ~ニコニコ
逝ってしまわれたK美さんや
大きな災害に遭った東北の方々の事を考えると軽々しくは言えない事ですが
>あの頃には もう戻れない現実
刹那を大切にと思わずにはいられません。
何もかもが貴重な楽しかった思い出となって
kanafrさんの中で今でも活き活きと息づいている事がよく解りました。
ああ一緒だなぁと頷きつつ私も
あの果てしなく続くと思われた学生時代の諸々を懐かしんでいましたニコニコ
私にとっては10年以上あったように思える不思議な時間で
人生の中で一番密度が濃かった時期だったように思えます。
そんな大切な時期に傍にいらっしゃったこのK美さん___
ブログでkanafrさんにこういう形で紹介して貰って
たくさんの方々がきっと
「こんな方がいらっしゃったんだ~♪わぁ素敵な方だったのだなぁ」と。
K美さん 恥ずかしがりながらも喜んでいらっしゃると思いますよ~ニコニコ
逝ってしまわれたK美さんや
大きな災害に遭った東北の方々の事を考えると軽々しくは言えない事ですが
>あの頃には もう戻れない現実
刹那を大切にと思わずにはいられません。
Commented
by
ラパン
at 2013-08-24 05:38
x
学生の頃など若い時の友人との会話や小さなシーン、何気無いものの方がふと思い出されたりしませんか?
kanaさんの書かれている、パフェのシーンだったりきゃっきゃと笑いながら言った冗談とか。。。
その頃がキラキラしているほど、思い出すと切なくなりますね。
夏の終わりの今の時期の切なさ、kana さんにはまた別の理由もあったのですね、、、。
kanaさんの書かれている、パフェのシーンだったりきゃっきゃと笑いながら言った冗談とか。。。
その頃がキラキラしているほど、思い出すと切なくなりますね。
夏の終わりの今の時期の切なさ、kana さんにはまた別の理由もあったのですね、、、。
Commented
by
kanafr at 2013-08-24 07:23
whitelacenonyoさん 今晩は
何年も会っていない友人でした。だから彼女が、闘病中だっていう知らせがあった時も、その後亡くなったという知らせを受けた時もなかなか信じられませんでした。
だから今でも彼女の事を思い出す時は、笑顔の美しい彼女の若い頃の姿しか思い浮かびません。
時は確実に流れていますが、思い出はその時の中で止まったままで、振り返ればいつでも楽しい時を見させてくれます。
「その人を思ってあげる事、それが一番の供養になるのよ」と、母をなくした私に教えてくれた彼女の言葉を思い出し、こうやって彼女の事を思い出しています。
何年も会っていない友人でした。だから彼女が、闘病中だっていう知らせがあった時も、その後亡くなったという知らせを受けた時もなかなか信じられませんでした。
だから今でも彼女の事を思い出す時は、笑顔の美しい彼女の若い頃の姿しか思い浮かびません。
時は確実に流れていますが、思い出はその時の中で止まったままで、振り返ればいつでも楽しい時を見させてくれます。
「その人を思ってあげる事、それが一番の供養になるのよ」と、母をなくした私に教えてくれた彼女の言葉を思い出し、こうやって彼女の事を思い出しています。
Commented
by
kanafr at 2013-08-24 07:42
kimanbaさん 今晩は
学生時代の頃、自分より年上の人から「今一番楽しい時ね」「一時疎遠になったとしても、学生時代の友人っていいものよ」なんてよく言われたものですが、その頃は学生時代が一番楽しい頃なんて思いませんでした。
でも今なら凄ーく分かるんですよねぇ。
おっしゃる通り、人生の中で一番密度が濃かったっていう意味が..。
3.11の時、もうK美ちゃんはいませんでした。
大船渡在の友人の消息が分かるまで、みんな本当に心配しました。
未曾有の震災でしたが、これ以上私達の友人を失くしたくないって、そんな思いがみんなの心にあったと思います。
もうあの頃には戻れなくても、そこで生き続ける人達がいる、苦しんでいる人達がいる事を思う時、これ以上ひどい事になりませんようにって思うんですよね。
学生時代の頃、自分より年上の人から「今一番楽しい時ね」「一時疎遠になったとしても、学生時代の友人っていいものよ」なんてよく言われたものですが、その頃は学生時代が一番楽しい頃なんて思いませんでした。
でも今なら凄ーく分かるんですよねぇ。
おっしゃる通り、人生の中で一番密度が濃かったっていう意味が..。
3.11の時、もうK美ちゃんはいませんでした。
大船渡在の友人の消息が分かるまで、みんな本当に心配しました。
未曾有の震災でしたが、これ以上私達の友人を失くしたくないって、そんな思いがみんなの心にあったと思います。
もうあの頃には戻れなくても、そこで生き続ける人達がいる、苦しんでいる人達がいる事を思う時、これ以上ひどい事になりませんようにって思うんですよね。
Commented
by
kanafr at 2013-08-24 08:14
lapinさん 今晩は
私は帰国していない事もあって、もう一人の海外にいる友人や日本在の友人達のように、年を重ねていく彼女の姿や闘病中の彼女の姿に会う事はなかったせいか、彼女との思い出はこんな風にキラキラした思い出しかないんです。
個人的には、泣いた事も苦しんだ事もあった筈の若い頃なのに、彼女達と一緒に過ごした頃を思い出す時、みんなの笑顔しか思い出せないんです。
そんないい時間を一緒に歩めたのも、彼女達のお蔭だったんだなあって今あらためて過ごした時の有り難さを噛みしめています。
私は帰国していない事もあって、もう一人の海外にいる友人や日本在の友人達のように、年を重ねていく彼女の姿や闘病中の彼女の姿に会う事はなかったせいか、彼女との思い出はこんな風にキラキラした思い出しかないんです。
個人的には、泣いた事も苦しんだ事もあった筈の若い頃なのに、彼女達と一緒に過ごした頃を思い出す時、みんなの笑顔しか思い出せないんです。
そんないい時間を一緒に歩めたのも、彼女達のお蔭だったんだなあって今あらためて過ごした時の有り難さを噛みしめています。
Commented
by
akicosmosA at 2013-08-24 15:23
多感なとあえて言います~♪
すべてに感情が弾むように動き泣いたり
笑ったりのあの頃大人になってなんてなんていい日々だったのだろうと思います。
私も中学、高校でであった5人とは
今も交流は続き2,3カ月に一度は私以外は東京近辺在住なので
あってはランチをしています。すっかり思い出話も尽きてこれからのことが多い話題になりましたけれど・・。
5人と書きましたが実は高校3年の夏休みの旅行のあと
ひとり思いがけない突然の病で旅立ってしまいました。
でも今も5人と言ってるんです。
夏が来ると今も胸が痛い思い出です。
あなたたち老けたわねえと私たちを観て笑っているかもしれません。
kanaさんのところで私の思い出など綴り失礼いたしましたが
記事を読みながら重なる想いをつい書いてしましました。
すべてに感情が弾むように動き泣いたり
笑ったりのあの頃大人になってなんてなんていい日々だったのだろうと思います。
私も中学、高校でであった5人とは
今も交流は続き2,3カ月に一度は私以外は東京近辺在住なので
あってはランチをしています。すっかり思い出話も尽きてこれからのことが多い話題になりましたけれど・・。
5人と書きましたが実は高校3年の夏休みの旅行のあと
ひとり思いがけない突然の病で旅立ってしまいました。
でも今も5人と言ってるんです。
夏が来ると今も胸が痛い思い出です。
あなたたち老けたわねえと私たちを観て笑っているかもしれません。
kanaさんのところで私の思い出など綴り失礼いたしましたが
記事を読みながら重なる想いをつい書いてしましました。
Commented
by
kanafr at 2013-08-25 01:02
こすもすさん 今日は
>今でも5人と言っているんです。
いいお話を聞かせてくださって有難うございます。
卒業してから、それぞれの人生を歩んで、色んなところで色んな方達と知り合いになって...とお付き合いの幅はドンドン広がりましたが、素のままの多感な頃を一緒に過ごした学生時代の友人っていいですよね。
空の向こうに旅立ってしまっても、いつまでも元気だった時のように一緒にいるような気が私達もしています。
忘れないでいる...って事、それが友達っていうものですね。
>今でも5人と言っているんです。
いいお話を聞かせてくださって有難うございます。
卒業してから、それぞれの人生を歩んで、色んなところで色んな方達と知り合いになって...とお付き合いの幅はドンドン広がりましたが、素のままの多感な頃を一緒に過ごした学生時代の友人っていいですよね。
空の向こうに旅立ってしまっても、いつまでも元気だった時のように一緒にいるような気が私達もしています。
忘れないでいる...って事、それが友達っていうものですね。
Commented
by
uransuzu at 2013-08-25 09:34
なんだか、切なくなって、コメントを書くのをためらっていました。
弾けるような若さのとき、キラキラ輝く時代、一緒に過ごしたお友達。
kanaさんの人生のとても大切な部分ですね。
きっとk美さんも、このブログを読んで、ニコニコ喜んでいるような気がします。そして、ありがとう!って言っているような・・・気がするな。
弾けるような若さのとき、キラキラ輝く時代、一緒に過ごしたお友達。
kanaさんの人生のとても大切な部分ですね。
きっとk美さんも、このブログを読んで、ニコニコ喜んでいるような気がします。そして、ありがとう!って言っているような・・・気がするな。
Commented
by
shinn-lily at 2013-08-25 13:47
今年同僚を失くして、人間って簡単に死ぬのだと身に染み入りました。
人ひとりの存在ってどういうものなんだろうと、よく考えます。
人はこの世にいなくなっても、たくさんの想いを残してくれています。
残してくれたものをかかえ、今生かされている私たちが生きていくのだなとも考えています。
k美さんの想い出がある限り、kanafrさんの心の中にk美さんがいてくれるのでしょう。
残してくれたものを抱える時、その方の存在した価値をますます増すことが出来るのだと考えるようになりました。
人ひとりの存在ってどういうものなんだろうと、よく考えます。
人はこの世にいなくなっても、たくさんの想いを残してくれています。
残してくれたものをかかえ、今生かされている私たちが生きていくのだなとも考えています。
k美さんの想い出がある限り、kanafrさんの心の中にk美さんがいてくれるのでしょう。
残してくれたものを抱える時、その方の存在した価値をますます増すことが出来るのだと考えるようになりました。
Commented
by
kanafr at 2013-08-26 02:06
uransuzuさん 今日は
笑ったり、泣いたり、ケンカをしたり..大人への階段を一緒に登ってきた友達だから分かりあえるあの時の事、それはどんなに月日がたっても色あせる事のないものなんだって、彼女達が教えてくれました。
>きっとk美さんも、このブログを読んで、ニコニコ喜んでいるような気がします。
そう言っていただいて、凄く嬉しいです。
私もK美ちゃんの思い出を綴るというより、彼女も読んでくれたらって思ってしました。
笑ったり、泣いたり、ケンカをしたり..大人への階段を一緒に登ってきた友達だから分かりあえるあの時の事、それはどんなに月日がたっても色あせる事のないものなんだって、彼女達が教えてくれました。
>きっとk美さんも、このブログを読んで、ニコニコ喜んでいるような気がします。
そう言っていただいて、凄く嬉しいです。
私もK美ちゃんの思い出を綴るというより、彼女も読んでくれたらって思ってしました。
Commented
by
kanafr at 2013-08-26 02:27
shinn-lilyさん 今日は
ブログに綴られたshinn-lilyさんの深い悲しみに、あの時胸を打たれました。
どうしようもできない別れに、人の世の儚さを感じました。
でもおっしゃる通り、旅立ったshinn-lilyさんのご同僚の方も友人も、こんなにたくさんの想いを残してくれていますね。
ずっと繋がっているって感じています。
ブログに綴られたshinn-lilyさんの深い悲しみに、あの時胸を打たれました。
どうしようもできない別れに、人の世の儚さを感じました。
でもおっしゃる通り、旅立ったshinn-lilyさんのご同僚の方も友人も、こんなにたくさんの想いを残してくれていますね。
ずっと繋がっているって感じています。