2016年 02月 08日
離れても、時が経って、再びめぐりあう喜び
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以前も書いたと思うが、大学生の頃だったろうか。
はじめは、月の5日と20日の発行だったような気がするが、とにかく創刊号を手に取った時
から、今までにない新しさで、ハートを鷲掴みにされた雑誌があった。
雑誌のネーミングもロゴも、今までの漢字書体の名称とは違う斬新さがあり、自由で自然な表情のモデルの顔も新鮮で、その雑誌の発売日が楽しみだった。
その素敵なロゴが、その雑誌のアートディレクターでもあった堀内誠一氏によるものだと
知ったのは、いつ頃だっただろうか。
とにかく才能に溢れる堀内氏のアイディアや企画で構成されるその雑誌「an an」は、まさに新しい時代が来た!と感じさせる画期的な雑誌で、一般庶民だった私は、その雑誌で初めて“ルイ・ヴイトン”なるブランドを知ったような気がする。
海外ロケでの写真も多く、1枚1枚が額に入れて飾りたくなるような写真も素敵だった。
そして、その何年か後にピンクハウスを立ち上げたファッションデザイナー金子功氏とその
奥様でいらっしゃる立川ユリさんによって繰り広げられるファッションの世界。
勿論、洋服だけでなく“何だか時代遅れ”と思っていた“和”の美しさを目覚めさせてくれた
雑誌でもあった。
そんな雑誌の中で、憧れていた国へ自分が旅するように感じさせてくれた読み物が、堀内
誠一氏による連載「パリからの旅」だった。
堀内氏のイラストと文章で紹介されるパリをはじめ南仏やブルターニュへの旅。
そしてその旅は、フランス国内だけに留まらず、近郊諸国であるドイツ、イタリア、ロンドンまで及び、さらに連載は「空飛ぶ絨毯」となって、ギリシア、メキシコ、まだベルリンの壁があった東ドイツ、ソ連と呼ばれていたロシアの国までの楽しい旅の本になった。
そんな2つの本を抱えて、フランスに来た。
結婚生活のスタートと同時のフランス生活スタートだった。
私にとってのフランスは、出張で2回ほど来たというものだったが、オット自身は、私と知り合う前に相次いで両親を亡くし、そんな傷心のオットを慰めようと、すでに渡仏していた親友からの誘いもあり、たった数カ月だったが経験済みのフランス生活だった。
その数カ月のフランス滞在の間に、親友を通じて知り合った方からの仕事の誘いもあり、この国であらたな生活をスタートすると決めたのは、オットだったが、義姉、義兄は猛反対だった。
「少しでも日本を離れたら、今の会社には戻れない、あいつ(オット)は、そんな事も分かった上で行くんだよな。それに貴女だって、母一人娘一人なのに、お母さんの事を考えたら普通行けないでしょ?それなのに2人揃って、これだけ周りが反対してもフランスに行くんだから、やっぱり外国は合いませんでした、ダメでしたなんて言って、1年やそこらで帰って来るなんていうみっともない事はしないように!それだけの覚悟をして行け!」
それが私達夫婦に向けた義兄らしい厳しい餞別の言葉だった。
でも、オットには、オットなりの理由があったのだろう。
そして、母一人娘一人の生活だったのに、母を一人残して行く事を決めた私にも、私なりの
理由があった。
オットの会社から与えられたアパートは、20階建の15階にあり、大きな全面の窓の外には、遠く向こうまでパリが広がっていた。
フランスでの新生活と同時に仕事をスタートさせていたオットと違い、来た早々に体調を崩してしょっちゅう原因不明の熱をだしたりしていた私。
何をする訳でもなく、だるい体のまま、全面の窓からのパリを眺めていると、自分達の選択を後悔したことはないけれど、時々、説明のつかない虚しさと切なさと生きて行く苦しさが、おり混じったような感情に襲われ、打ちひしがれる時があった。
そんな時には、堀内誠一氏の本を開き、堀内氏の描く人間味あふれるパリの人々や、優しい色合いの風景を見ては、心の痛みをしばし忘れ、本の端っこに書かれた「僕はフランス語が
できない。できない人間がなぜアドバイスするのか!!できなくても何とかやっていくためのアドバイスだからだ」の手書きの文字を読んでは、その文や丸っこい書体に慰められていた。
実は、我が家には「貴女の本で、床が抜けるかもしれない!」と母に言われた位、本は沢山あった。
でも、持ち出した本をこの2冊だけにしたのは、題名通りの旅行をしたい訳でもなく、日本語を自分の生活の中から遮断して、フランスの生活やフランス人や言語に慣れる為でもなく、一人暮らしをさせる事になってしまった母への本好きな自分に課した罰だったのだ。
それから1年位経ったある日、オットの会社の人から紹介されたファッションショーの着付けのアルバイトで知り合った方とお茶をご一緒したことがあった。
彼女も堀内誠一氏のアンアンでの連載を読んでいたという事で意気投合し、我が家に遊びに来たその方に懇願され、その2冊の本をお貸しした。
でも、半年以上経っても返してもらえず、終いには「すぐに、返したじゃない!」と怒鳴られて、2冊の本は、私の手元から消えた本になった。
彼女の言葉もショックだったが、もう、その本を見れないかもしれないと思うとショックだった。
その頃には、フランスの生活にも慣れてきていたが、それでも、堀内氏の本は、私にとって
大事なオアシスだったのだ。
そして、それから、15.6年位経った頃だろうか。
当時、よく行っていた日本語の古本も扱っていたビデオ屋さんで、在仏者のどなたかが売ったのだろうか、あれ以来見る事のなかった「パリからの旅」の本を見つけたのだ。
そこに描かれているパリは、もうその時のパリではなかったが、どうしても欲しくて買った。
ところが、再び会えた嬉しさのあまり、興奮していたのだろうか。
当時、携帯電話を持っていなかった私は、その店を出た後に入った電話ボックスの中にその本を置いてきてしまったのだ。
5分もたたず忘れた事に気づき、すぐ戻ったが、誰かによって、持ち去られた後だった。
それから数年後、働き始めた私は、その時に知りあい、今は日本に帰国し、新たな仕事を
している元同僚のWさんが、パリに遊びに来る事になり「何でも持って行きますよ」と言って
くださったお言葉に甘え、三度目の正直で「パリからの旅」を、やっと手に入れた。
ページを開くと、最初に手にした独身の時代から、当然ながら、長い時間が流れていた。
今では、東京-パリには12時間の直行便があるというのに、この本の中の最初のページには「東京からパリへ飛ぶ便は三つあります」と書かれ「北回り便、アンカレッジ経由」「モスクワ経由便」「南回り便」とあり、南回り便には所要時間24時間となっているのだ。
そうそう、こんな時代だったと、かつてのパリ出張時に経験した経由のアンカレッジ空港で
食べたうどんや、大きな白クマの剥製等を懐かしく思いだした。
そして、もう一つの本「空飛ぶ絨毯」と、再会できたのは、昨年12月。
昨年の春位から閉店の噂があり、売り場も少しづつ縮小され、遂に12月末に日本書籍扱い店のみ、閉店が決定したパリのブックオフ。
そのパリ関係の雑誌のコーナーだった。
きっと、パリの今を知りたい人には、役に立たない本だったのかもしれない。
そして、日本からの若い人が増えている今、29年前に他界された堀内誠一氏がどれほど
凄い人だったのか、知る人はいないのかもしれない。
でも、私にとっては、5€の値段がつけられたその本をレジに持って行く時、又、恋人に会えたような喜びでドキドキした。
かつてあの全面の窓で沈む夕日を眺めながら、外国での生活に負けそうになって涙した時
いつもそばにあったこの2冊の本。
今では、フランス生活も長くなり、持ち前の図々しさと適当な性格に、年齢的な記憶力低下も加わり、ちょっとした事では、めげなくなった。
でも、ページを開けば、あの若かった頃の自分を懐かしく思い出し、こうして再び私の元にある喜びを噛みしめている。
そして、火曜日からは、この本でも紹介されたこの場所に行く。
旅行中も更新しようと№2がゲットしたPCを持って行こうとしたら、現在№2が使用中につき、持ち出し禁止になった。
そういう訳で、ちょっと1週間、行ってきまーす!
はじめは、月の5日と20日の発行だったような気がするが、とにかく創刊号を手に取った時
から、今までにない新しさで、ハートを鷲掴みにされた雑誌があった。
雑誌のネーミングもロゴも、今までの漢字書体の名称とは違う斬新さがあり、自由で自然な表情のモデルの顔も新鮮で、その雑誌の発売日が楽しみだった。
その素敵なロゴが、その雑誌のアートディレクターでもあった堀内誠一氏によるものだと
知ったのは、いつ頃だっただろうか。
とにかく才能に溢れる堀内氏のアイディアや企画で構成されるその雑誌「an an」は、まさに新しい時代が来た!と感じさせる画期的な雑誌で、一般庶民だった私は、その雑誌で初めて“ルイ・ヴイトン”なるブランドを知ったような気がする。
海外ロケでの写真も多く、1枚1枚が額に入れて飾りたくなるような写真も素敵だった。
そして、その何年か後にピンクハウスを立ち上げたファッションデザイナー金子功氏とその
奥様でいらっしゃる立川ユリさんによって繰り広げられるファッションの世界。
勿論、洋服だけでなく“何だか時代遅れ”と思っていた“和”の美しさを目覚めさせてくれた
雑誌でもあった。
そんな雑誌の中で、憧れていた国へ自分が旅するように感じさせてくれた読み物が、堀内
誠一氏による連載「パリからの旅」だった。
堀内氏のイラストと文章で紹介されるパリをはじめ南仏やブルターニュへの旅。
そしてその旅は、フランス国内だけに留まらず、近郊諸国であるドイツ、イタリア、ロンドンまで及び、さらに連載は「空飛ぶ絨毯」となって、ギリシア、メキシコ、まだベルリンの壁があった東ドイツ、ソ連と呼ばれていたロシアの国までの楽しい旅の本になった。
結婚生活のスタートと同時のフランス生活スタートだった。
私にとってのフランスは、出張で2回ほど来たというものだったが、オット自身は、私と知り合う前に相次いで両親を亡くし、そんな傷心のオットを慰めようと、すでに渡仏していた親友からの誘いもあり、たった数カ月だったが経験済みのフランス生活だった。
その数カ月のフランス滞在の間に、親友を通じて知り合った方からの仕事の誘いもあり、この国であらたな生活をスタートすると決めたのは、オットだったが、義姉、義兄は猛反対だった。
「少しでも日本を離れたら、今の会社には戻れない、あいつ(オット)は、そんな事も分かった上で行くんだよな。それに貴女だって、母一人娘一人なのに、お母さんの事を考えたら普通行けないでしょ?それなのに2人揃って、これだけ周りが反対してもフランスに行くんだから、やっぱり外国は合いませんでした、ダメでしたなんて言って、1年やそこらで帰って来るなんていうみっともない事はしないように!それだけの覚悟をして行け!」
それが私達夫婦に向けた義兄らしい厳しい餞別の言葉だった。
でも、オットには、オットなりの理由があったのだろう。
そして、母一人娘一人の生活だったのに、母を一人残して行く事を決めた私にも、私なりの
理由があった。
オットの会社から与えられたアパートは、20階建の15階にあり、大きな全面の窓の外には、遠く向こうまでパリが広がっていた。
フランスでの新生活と同時に仕事をスタートさせていたオットと違い、来た早々に体調を崩してしょっちゅう原因不明の熱をだしたりしていた私。
何をする訳でもなく、だるい体のまま、全面の窓からのパリを眺めていると、自分達の選択を後悔したことはないけれど、時々、説明のつかない虚しさと切なさと生きて行く苦しさが、おり混じったような感情に襲われ、打ちひしがれる時があった。
そんな時には、堀内誠一氏の本を開き、堀内氏の描く人間味あふれるパリの人々や、優しい色合いの風景を見ては、心の痛みをしばし忘れ、本の端っこに書かれた「僕はフランス語が
できない。できない人間がなぜアドバイスするのか!!できなくても何とかやっていくためのアドバイスだからだ」の手書きの文字を読んでは、その文や丸っこい書体に慰められていた。
でも、持ち出した本をこの2冊だけにしたのは、題名通りの旅行をしたい訳でもなく、日本語を自分の生活の中から遮断して、フランスの生活やフランス人や言語に慣れる為でもなく、一人暮らしをさせる事になってしまった母への本好きな自分に課した罰だったのだ。
それから1年位経ったある日、オットの会社の人から紹介されたファッションショーの着付けのアルバイトで知り合った方とお茶をご一緒したことがあった。
彼女も堀内誠一氏のアンアンでの連載を読んでいたという事で意気投合し、我が家に遊びに来たその方に懇願され、その2冊の本をお貸しした。
でも、半年以上経っても返してもらえず、終いには「すぐに、返したじゃない!」と怒鳴られて、2冊の本は、私の手元から消えた本になった。
彼女の言葉もショックだったが、もう、その本を見れないかもしれないと思うとショックだった。
その頃には、フランスの生活にも慣れてきていたが、それでも、堀内氏の本は、私にとって
大事なオアシスだったのだ。
そして、それから、15.6年位経った頃だろうか。
当時、よく行っていた日本語の古本も扱っていたビデオ屋さんで、在仏者のどなたかが売ったのだろうか、あれ以来見る事のなかった「パリからの旅」の本を見つけたのだ。
そこに描かれているパリは、もうその時のパリではなかったが、どうしても欲しくて買った。
ところが、再び会えた嬉しさのあまり、興奮していたのだろうか。
当時、携帯電話を持っていなかった私は、その店を出た後に入った電話ボックスの中にその本を置いてきてしまったのだ。
5分もたたず忘れた事に気づき、すぐ戻ったが、誰かによって、持ち去られた後だった。
それから数年後、働き始めた私は、その時に知りあい、今は日本に帰国し、新たな仕事を
している元同僚のWさんが、パリに遊びに来る事になり「何でも持って行きますよ」と言って
くださったお言葉に甘え、三度目の正直で「パリからの旅」を、やっと手に入れた。
ページを開くと、最初に手にした独身の時代から、当然ながら、長い時間が流れていた。
今では、東京-パリには12時間の直行便があるというのに、この本の中の最初のページには「東京からパリへ飛ぶ便は三つあります」と書かれ「北回り便、アンカレッジ経由」「モスクワ経由便」「南回り便」とあり、南回り便には所要時間24時間となっているのだ。
そうそう、こんな時代だったと、かつてのパリ出張時に経験した経由のアンカレッジ空港で
食べたうどんや、大きな白クマの剥製等を懐かしく思いだした。
そして、もう一つの本「空飛ぶ絨毯」と、再会できたのは、昨年12月。
昨年の春位から閉店の噂があり、売り場も少しづつ縮小され、遂に12月末に日本書籍扱い店のみ、閉店が決定したパリのブックオフ。
そのパリ関係の雑誌のコーナーだった。
きっと、パリの今を知りたい人には、役に立たない本だったのかもしれない。
そして、日本からの若い人が増えている今、29年前に他界された堀内誠一氏がどれほど
凄い人だったのか、知る人はいないのかもしれない。
でも、私にとっては、5€の値段がつけられたその本をレジに持って行く時、又、恋人に会えたような喜びでドキドキした。
かつてあの全面の窓で沈む夕日を眺めながら、外国での生活に負けそうになって涙した時
いつもそばにあったこの2冊の本。
今では、フランス生活も長くなり、持ち前の図々しさと適当な性格に、年齢的な記憶力低下も加わり、ちょっとした事では、めげなくなった。
でも、ページを開けば、あの若かった頃の自分を懐かしく思い出し、こうして再び私の元にある喜びを噛みしめている。
そして、火曜日からは、この本でも紹介されたこの場所に行く。
そういう訳で、ちょっと1週間、行ってきまーす!
by kanafr
| 2016-02-08 12:38
| 本、雑誌
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Comments(20)
Commented
by
すっとこ
at 2016-02-08 15:17
x
今日のお話が 心に沁み入るのは
自分も異国暮らしだからでしょうか。
あの書体の an an 衝撃でしたね。
当時居ついた猫が「アンアン」と鳴くので
よっぽど編集部へ投書しようかと思ったものです。
そして最後が
あら、してやられた。
1週間のご旅行、楽しんでらして下さいね。
お帰りをお待ちしています。土産話がどっさり!
自分も異国暮らしだからでしょうか。
あの書体の an an 衝撃でしたね。
当時居ついた猫が「アンアン」と鳴くので
よっぽど編集部へ投書しようかと思ったものです。
そして最後が
あら、してやられた。
1週間のご旅行、楽しんでらして下さいね。
お帰りをお待ちしています。土産話がどっさり!
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sogno_sonyo at 2016-02-08 16:26
心の中に大事に持ち続けるものは
離れてもまたいつか戻ってくるものなのですね。
時が経って懐かしく思い出す過去の自分と今の自分。
好きなものが変わってないことがまた嬉しいわ。
大きな窓から見渡した異国の街が今では大事な第二の故郷ですね。
最後のイラスト。あら!この風景はもしや。わぁ♪
お土産話楽しみに待っております。
離れてもまたいつか戻ってくるものなのですね。
時が経って懐かしく思い出す過去の自分と今の自分。
好きなものが変わってないことがまた嬉しいわ。
大きな窓から見渡した異国の街が今では大事な第二の故郷ですね。
最後のイラスト。あら!この風景はもしや。わぁ♪
お土産話楽しみに待っております。
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cocomerita at 2016-02-08 16:27
Ciao kana さん
きっと動き始められたのだと、何かが動き始めているのだと この文章読んで そして旅のこともあわせてそう思いました
よい旅を!
Buon viaggio!
とあえてこの国の言葉で、、笑
きっと動き始められたのだと、何かが動き始めているのだと この文章読んで そして旅のこともあわせてそう思いました
よい旅を!
Buon viaggio!
とあえてこの国の言葉で、、笑
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saheizi-inokori at 2016-02-08 21:04
いってらしゃい!お気をつけて!
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whitelacenonyo at 2016-02-08 23:02
外国暮らし、、それは一大決心だったことでしょう。
時には涙するその時にこの本がどれほど力づけてくれたことでしょう。
気持ちが折れそうになりながらもご夫婦で力を合わせてパリに基盤を築き、今のkanaさんなのですね。
本というものは心の糧になるのは私も経験しています。
イラストの地への旅。あの人から伺っております。
いっぱい、楽しんでくださいね〜〜
時には涙するその時にこの本がどれほど力づけてくれたことでしょう。
気持ちが折れそうになりながらもご夫婦で力を合わせてパリに基盤を築き、今のkanaさんなのですね。
本というものは心の糧になるのは私も経験しています。
イラストの地への旅。あの人から伺っております。
いっぱい、楽しんでくださいね〜〜
Commented
by
kanafr at 2016-02-09 00:41
すっとこさん 今日は
外国暮らしっていうのは、やはり時にはどんなに街の中を歩き慣れていようと、あまり不自由さを感じない状態になっても、思わぬ差別を受けたり、扱いを受ける時、自分が、異国にいる事を意識させられますが、かといって、久しぶりに帰国した日本にもなじめない自分がいて、本当にどっちつかずの自分にしばし揺れ動いたりします。
そういう事ないですか?
ところで、最初の頃のananってよかったですよね?
今は読者に媚びるというか、売れる事を目的とした(それでなければ出版社も経営が成り立たないから仕方がないんですが...)雑誌や本ばかり出ている様な気がしますが、あの当時のananは、読者に媚びず色んな刺激を与え、新しい時代を教えてくれた教科書のようなものでした。
あの名前は一般公募でどこかの高校生がつけたと、確か話題になったと思うんですが、猫ちゃんが、ananと鳴くとは、きっとパンダの絵も雑誌の片隅によくありましたから、同じネコ科で共感を覚えていたのでしょうか?
ハイ、あの週5日朝9時―17時のフランス語づけ授業が開始する前の息抜き旅行です。
ホントは、大変な授業を受けた後に息抜きをするものですが、おやつを与えないと動かないタイプなんです(苦笑)
外国暮らしっていうのは、やはり時にはどんなに街の中を歩き慣れていようと、あまり不自由さを感じない状態になっても、思わぬ差別を受けたり、扱いを受ける時、自分が、異国にいる事を意識させられますが、かといって、久しぶりに帰国した日本にもなじめない自分がいて、本当にどっちつかずの自分にしばし揺れ動いたりします。
そういう事ないですか?
ところで、最初の頃のananってよかったですよね?
今は読者に媚びるというか、売れる事を目的とした(それでなければ出版社も経営が成り立たないから仕方がないんですが...)雑誌や本ばかり出ている様な気がしますが、あの当時のananは、読者に媚びず色んな刺激を与え、新しい時代を教えてくれた教科書のようなものでした。
あの名前は一般公募でどこかの高校生がつけたと、確か話題になったと思うんですが、猫ちゃんが、ananと鳴くとは、きっとパンダの絵も雑誌の片隅によくありましたから、同じネコ科で共感を覚えていたのでしょうか?
ハイ、あの週5日朝9時―17時のフランス語づけ授業が開始する前の息抜き旅行です。
ホントは、大変な授業を受けた後に息抜きをするものですが、おやつを与えないと動かないタイプなんです(苦笑)
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kanafr at 2016-02-09 01:03
そにょさん 今日は
最初に貸したものが帰って来なかった時は、本当にショックでした。でもこんな風に巡り合うってあるんですね。
人だけじゃなく、本とのご縁っていうのもあり何だなあと思いました。
懐かしさと出会い、若い頃の自分を色んな思い出と共に思い出しては赤面したり、色んな事がきっかけになって人って変わるとか言いますが、私の場合、人間を長くやっていても、全く適当なところは若い頃と変わっていないんだなあと変に感心したりしています(苦笑)
旅行に行く場所は、私にとっては初の場所なんです。
だから、この堀内誠一氏が描いた絵のようなのか確認したいと思っています。多分、そにょさんご存知の場所だと思います(笑)
最初に貸したものが帰って来なかった時は、本当にショックでした。でもこんな風に巡り合うってあるんですね。
人だけじゃなく、本とのご縁っていうのもあり何だなあと思いました。
懐かしさと出会い、若い頃の自分を色んな思い出と共に思い出しては赤面したり、色んな事がきっかけになって人って変わるとか言いますが、私の場合、人間を長くやっていても、全く適当なところは若い頃と変わっていないんだなあと変に感心したりしています(苦笑)
旅行に行く場所は、私にとっては初の場所なんです。
だから、この堀内誠一氏が描いた絵のようなのか確認したいと思っています。多分、そにょさんご存知の場所だと思います(笑)
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by
kanafr at 2016-02-09 01:08
junkoさん 今日は
この前は色々と有難う。
私にとっては、初の場所なので、きっと見る物、聞く物、全ての物を好奇心のかたまりで観察すると思います。
junkoさんが、そうおっしゃってくださった言葉に、勇気を貰った気がします。有難う。
沢山の刺激を受けて、色んな事を考えるきっかけになるといいなあって思います。
帰ってからの記事になりますが、又読んでくださいね。
この前は色々と有難う。
私にとっては、初の場所なので、きっと見る物、聞く物、全ての物を好奇心のかたまりで観察すると思います。
junkoさんが、そうおっしゃってくださった言葉に、勇気を貰った気がします。有難う。
沢山の刺激を受けて、色んな事を考えるきっかけになるといいなあって思います。
帰ってからの記事になりますが、又読んでくださいね。
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kanafr at 2016-02-09 01:10
saheiziさん 今日は
有難うございます。
本当は旅行中に記事をアップというのを夢見ていたんですが№2が授業でどうしても必要らしく諦めました。
戻って来てからの記事、又リスボンのように長くなるかもしれませんが、よかったら読んでくださいね。
では、行ってまいります。
有難うございます。
本当は旅行中に記事をアップというのを夢見ていたんですが№2が授業でどうしても必要らしく諦めました。
戻って来てからの記事、又リスボンのように長くなるかもしれませんが、よかったら読んでくださいね。
では、行ってまいります。
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by
kanafr at 2016-02-09 01:25
whitelacenonyoさん 今日は
オットは末っ子で、本当に仲の良い兄弟なので、義兄から厳しい言葉を貰っても、もしダメだったらダメで帰国すればいいっていう気持ちがあったと思います。
でも私は義理だったからかもしれませんが、オット以上に義兄の言葉が胸に応えました。だから簡単に帰るなんてできなかったんだろうと思います。
私自身はどこで亡くなっても一緒と思いながら、こんな風に外国暮らしを続行させてしまった事が、オットにとってよかったのかどうか、そして外国で生まれ育った事が生まれた№2にとってよかったのかどうか、2人の事を考えるとこんなに長く住んでいても、答えは見つからず、常に揺れ動く心を片隅に置いたまま生活している感じです。
アッ、ご存知だったんですね。
今回初の場所なので、この絵の通りなのか、多分歴史ある場所なので変わらないだろうと思いつつ、確認してまいります。
記事は帰ってからなので些か間が抜けますが(苦笑)、よかったら読んでくださいませ。
オットは末っ子で、本当に仲の良い兄弟なので、義兄から厳しい言葉を貰っても、もしダメだったらダメで帰国すればいいっていう気持ちがあったと思います。
でも私は義理だったからかもしれませんが、オット以上に義兄の言葉が胸に応えました。だから簡単に帰るなんてできなかったんだろうと思います。
私自身はどこで亡くなっても一緒と思いながら、こんな風に外国暮らしを続行させてしまった事が、オットにとってよかったのかどうか、そして外国で生まれ育った事が生まれた№2にとってよかったのかどうか、2人の事を考えるとこんなに長く住んでいても、答えは見つからず、常に揺れ動く心を片隅に置いたまま生活している感じです。
アッ、ご存知だったんですね。
今回初の場所なので、この絵の通りなのか、多分歴史ある場所なので変わらないだろうと思いつつ、確認してまいります。
記事は帰ってからなので些か間が抜けますが(苦笑)、よかったら読んでくださいませ。
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by
uransuzu at 2016-02-09 12:49
kanaさん、もうお出かけでしょうか。
今日のブログは、格別に心を揺すられました。
若き日に、ファッションやパリへの憧れを高めさせた堀内氏、アンアン、雑誌。
きっと、そのエッセンスはkanaさんの奥底にいつも静かに、でも熱く眠っているのでしょう。
また、巡り会えてよかったですね。
自分たちで海外での生活を選んだこと、覚悟、その時の気持ちを思い出させてくれたのではないでしょうか。
いい旅になりますよう、旅レポを楽しみにしています。
今日のブログは、格別に心を揺すられました。
若き日に、ファッションやパリへの憧れを高めさせた堀内氏、アンアン、雑誌。
きっと、そのエッセンスはkanaさんの奥底にいつも静かに、でも熱く眠っているのでしょう。
また、巡り会えてよかったですね。
自分たちで海外での生活を選んだこと、覚悟、その時の気持ちを思い出させてくれたのではないでしょうか。
いい旅になりますよう、旅レポを楽しみにしています。
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at 2016-02-12 09:00
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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kimanba at 2016-02-13 10:38
40年以上の時を経ても充分に
今でもとってもオシャレで流行最先端に位置するようなこんなイラスト
どんなに時代を先取りしていた方だったか、、が充分に伝わります。
憧れた本の、その雰囲気と内容と
普通はため息だけで終わるのに、その国に住んでしまわれたkanafrさん
そんな運命だったkanafrさんにもまた格別のものを感じました♪
今でもとってもオシャレで流行最先端に位置するようなこんなイラスト
どんなに時代を先取りしていた方だったか、、が充分に伝わります。
憧れた本の、その雰囲気と内容と
普通はため息だけで終わるのに、その国に住んでしまわれたkanafrさん
そんな運命だったkanafrさんにもまた格別のものを感じました♪
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kimanba at 2016-02-13 10:44
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hisako-baaba at 2016-02-15 23:23
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by
kanafr at 2016-02-19 11:35
uransuzuさん 今晩は
お返事遅くなってごめんなさい。
無事に戻ってまいりましたが、風邪を引いてしまいちょっとお返事するのが、遅れてしまいました。
アンアンの最初の頃を思い出すたびに、堀内氏がなされた仕事の素晴らしさに圧倒されます。早く亡くなってしまわれたのは残念ですが、後世にこれだけの大きな物を残す仕事ができた方は、ある意味幸せな生き方をされたと言えるかもしれませんね。
お返事遅くなってごめんなさい。
無事に戻ってまいりましたが、風邪を引いてしまいちょっとお返事するのが、遅れてしまいました。
アンアンの最初の頃を思い出すたびに、堀内氏がなされた仕事の素晴らしさに圧倒されます。早く亡くなってしまわれたのは残念ですが、後世にこれだけの大きな物を残す仕事ができた方は、ある意味幸せな生き方をされたと言えるかもしれませんね。
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kanafr at 2016-02-19 11:38
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kanafr at 2016-02-19 11:42
kimanbaさん 今晩は
戻ってきたんですが、風邪を引いてしまいお返事遅くなってしまいすみません。
40年経って確かに内容に色んな差はあっても、堀内氏のこの本は情報誌ではないので古さを感じさせず、その時堀内氏が感じたであろう風をページをめくるたびに感じます。
やはり凄い人だったんだなあと今でも思います。
戻ってきたんですが、風邪を引いてしまいお返事遅くなってしまいすみません。
40年経って確かに内容に色んな差はあっても、堀内氏のこの本は情報誌ではないので古さを感じさせず、その時堀内氏が感じたであろう風をページをめくるたびに感じます。
やはり凄い人だったんだなあと今でも思います。
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kanafr at 2016-02-19 11:43
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kanafr at 2016-02-19 11:45