2016年 07月 20日
あれから4日経った日に...。
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ここ数日、天気予報では、要注意マークのオレンジ色が飛び交うcanicule、つまり酷暑の
日が続いているフランス。
日本の湿気のある猛暑も耐えられませんが、外を歩けば、まさに天火ならぬ天日でジリジリ焼かれているような強い日差しに、些かグッタリしています。
そんな中のお出掛けだった18日の月曜日。
本当なら出掛けたくないんだけど、呼び出し状をいただいたからには、行かねばなりませぬ。
昨年6月に経済的理由による解雇通告を受けた際、会社からのお勧めもあり、収入の75%
(税込)の失業手当の受給が1年間あり、職業研修もできるという2015年2月から始まったCSP(職業安定契約)制度を選んだ私。
その場合は、国が委託した民間会社(Sodie)の指導を受ける事になっていましたが、1年が過ぎ、ここからは、失業保険事務所(Pole emploi)管轄になる為、失業者としての再登録や現状の説明を兼ねた面談を行わなきゃいけない..という呼び出しでした。
早めに出たので、アポの時間より15分も早めに着きましたが、着いた時点で、入り口の扉が閉まらない位の長蛇の列。
どこもかしこも失業者でギッシリで、冷房もほぼ効かない状態の中、ただ、ただひたすら、待ち続けていましたが、いきなり立ち上がった受け付けの方の「アポのある人は、横のマシンで
登録して下さ~い」の呼びかけで、指定された11時は、とうに過ぎてしまいましたが、すぐに
登録すると、あまり待たずに、担当の方とお目にかかる事ができました。
入り口に、マシンの説明などの看板があれば、こんなに並ぶ事はなかったのにね。
そんな事もしない、そんな事に誰も気づかないのが、フランス式でありましょう。
さて、やっと始まった面談ですが、私の担当のマダムのブースで、今までの事や今後の事等色々とお話していたら、突然受付の方から「集まってください!」の声が..。
そう、あの惨劇から4日経った月曜日の12時、政府からの呼びかけによって、フランス各地で行なわれる事になったニースの犠牲者の方達への1分間の黙とうの為でした。
失業保険事務所では、黙とうだけでしたが、あの惨劇のあったデザングレ通りでは、黙とう後集まった大勢の人達から、自然にフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の歌声が沸き上がったそうです。
1分間の黙とうの後、再び、マダムBのブースに戻り、面談を再開しましたが、何故か担当のマダムの目が真っ赤…。
もしかして、今回のニースのテロで、マダムのご家族、知り合いの方が犠牲に…。
心配になって「大丈夫ですか?」と声をかけると、声も出せない状態で“ちょっと待って欲しい”とのジェスチャー。
しばらくして気分の落ち着いたマダムから伺ったのは、弟さんご家族がニース近くに住んで
いらっしゃって、ご自身もニースに行くたびに食事をご一緒する弟さんの長年の友人の方が、今回のテロの犠牲になられたんだそう。
「明るくて、どんな人にも優しい人だったのよ。もうすぐ、今年も会える筈だった」
その言葉に、胸が一杯になりました。
11月のパリのテロでも、私や№2の友人や知人だけでなく、間接的な関わり合いの方にも、犠牲になったり、今も怪我だけでなく、精神的に苦しんでいる人達が沢山います。
宗教を曲解して、殺戮行為を正当化し、残虐なテロを繰り返すテロリスト達。
自分達の行動が、彼らの標的の国民だけでなく、どれだけ自分達と同じ宗教を信じる人達を苦しめているか、なぜ、わからないのでしょう。
今回のテロについて言えば、早速ISから「ニースのテロは、自分達の戦士によるものである」という声明があったそうですが、何だか「実は、あれもこれも、俺様達が…」と、何でも自分の指導によるもののように言いたがるマッチョ集団の発言に思えたのは、私だけでしょうか。
そして、犯人も、自分の不運や不幸を他人のせいにし「自分を馬鹿にしている世間の奴らを
あっと言わせてやる!」と考えるような、何の宗教性も思想もない単細胞な男が、起こした
残虐行為にも思えるのです。
でも、もし、声明通り、ISの戦士だったとしたら….。
思わず、あの11月のテロの直後に上映禁止になった「宗教を捨て、習慣を捨て、まるで一般フランス人のようにふるまい生活をしながら、テロを企てる集団に潜入するジャーナリスト」の姿を描いた映画“Made in France”が、頭に浮かんでしまいました。
地道に汗を流して働き、自分だけでなく、周りの人の命も大事にして生きていく若者も大勢
いるのに、銃を持って無差別殺人をする事を、正しい行為だと信じて走る若者達…。
何より怖いのは、かつてヒットラーもやったように、インパクトのある単純な発言を、何度も繰りかえす行為によって、生まれた時から、考えるより先に行動する事が生きていく上で、何より大事だった貧困社会の中にいる若者達や、目立ちたいという欲望が強い若者達の心に「テロ行為は、正当である」ような勘違いが生まれ「衝撃を与える事は、強さである」という錯覚が、起きてしまう事です。
そんな彼らに対し、流した悲しみの涙を、意味のない差別行為で補おうするのではなく、心の強さに変えて、今ある危機を乗り越えていこうとする犠牲者の方達、自分達もそうありたいと願う人達がいます。
それなのに、昨年の11月以来、どんなに過酷な状況の中でも、テロから国民を守ろうと日夜頑張っている人達がいるという事を、一般国民以上に間近に見ている筈なのに、再び起きてしまったテロを利用し、極右ル・ペン派であるニース市長を抱き込み、テロの犠牲者の涙を、早速、利用して「自分だったら…」とのたまう、品格なんぞまったくないサルコジ。
(画像お借りしました)
どう考えても、そんな単純な問題でもなく、言うは易し、行うは難しの状況なのに、こんな奴が今や、テロに疲れた国民の心を上手に利用し、かつての大統領時代の数々の暴言や行動の反省本を出版し、一見謙虚そうに見せながら、頭隠して尻隠さずは見え見えなのに、うっかり騙される国民もいるらしく、徐々に権力を取り戻し、大統領への再選を狙っているらしい。
単純な言葉で、効果的に人の心にインパクトを与える人達。
そういう言葉に踊らされてしまう国民も悪いけれど、それを自分の政治力と勘違いし、自分は正しいと思いこむ権力に取りつかれた政治家達..。
ざっと考えただけでも、フランスで、アメリカで、日本で、世界中で、くだらないプライドばかり
強くて、自分や自分の家族が犠牲者になるのは嫌だけれど、国民の犠牲は、何とも思わないような、…、そんな政治家、かなりいませんか?
もしかしたら、世界中が、決してあがなえないような運命によって、動き始めたんじゃないか..と感じる今日この頃。
ジリジリと、少しづつ広がる突き刺すような痛みは、決してcaniculeのせいだけではないかもしれません。
日が続いているフランス。
日本の湿気のある猛暑も耐えられませんが、外を歩けば、まさに天火ならぬ天日でジリジリ焼かれているような強い日差しに、些かグッタリしています。
そんな中のお出掛けだった18日の月曜日。
本当なら出掛けたくないんだけど、呼び出し状をいただいたからには、行かねばなりませぬ。
昨年6月に経済的理由による解雇通告を受けた際、会社からのお勧めもあり、収入の75%
(税込)の失業手当の受給が1年間あり、職業研修もできるという2015年2月から始まったCSP(職業安定契約)制度を選んだ私。
その場合は、国が委託した民間会社(Sodie)の指導を受ける事になっていましたが、1年が過ぎ、ここからは、失業保険事務所(Pole emploi)管轄になる為、失業者としての再登録や現状の説明を兼ねた面談を行わなきゃいけない..という呼び出しでした。
どこもかしこも失業者でギッシリで、冷房もほぼ効かない状態の中、ただ、ただひたすら、待ち続けていましたが、いきなり立ち上がった受け付けの方の「アポのある人は、横のマシンで
登録して下さ~い」の呼びかけで、指定された11時は、とうに過ぎてしまいましたが、すぐに
登録すると、あまり待たずに、担当の方とお目にかかる事ができました。
入り口に、マシンの説明などの看板があれば、こんなに並ぶ事はなかったのにね。
そんな事もしない、そんな事に誰も気づかないのが、フランス式でありましょう。
さて、やっと始まった面談ですが、私の担当のマダムのブースで、今までの事や今後の事等色々とお話していたら、突然受付の方から「集まってください!」の声が..。
そう、あの惨劇から4日経った月曜日の12時、政府からの呼びかけによって、フランス各地で行なわれる事になったニースの犠牲者の方達への1分間の黙とうの為でした。
失業保険事務所では、黙とうだけでしたが、あの惨劇のあったデザングレ通りでは、黙とう後集まった大勢の人達から、自然にフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の歌声が沸き上がったそうです。
1分間の黙とうの後、再び、マダムBのブースに戻り、面談を再開しましたが、何故か担当のマダムの目が真っ赤…。
もしかして、今回のニースのテロで、マダムのご家族、知り合いの方が犠牲に…。
心配になって「大丈夫ですか?」と声をかけると、声も出せない状態で“ちょっと待って欲しい”とのジェスチャー。
しばらくして気分の落ち着いたマダムから伺ったのは、弟さんご家族がニース近くに住んで
いらっしゃって、ご自身もニースに行くたびに食事をご一緒する弟さんの長年の友人の方が、今回のテロの犠牲になられたんだそう。
「明るくて、どんな人にも優しい人だったのよ。もうすぐ、今年も会える筈だった」
その言葉に、胸が一杯になりました。
11月のパリのテロでも、私や№2の友人や知人だけでなく、間接的な関わり合いの方にも、犠牲になったり、今も怪我だけでなく、精神的に苦しんでいる人達が沢山います。
宗教を曲解して、殺戮行為を正当化し、残虐なテロを繰り返すテロリスト達。
自分達の行動が、彼らの標的の国民だけでなく、どれだけ自分達と同じ宗教を信じる人達を苦しめているか、なぜ、わからないのでしょう。
今回のテロについて言えば、早速ISから「ニースのテロは、自分達の戦士によるものである」という声明があったそうですが、何だか「実は、あれもこれも、俺様達が…」と、何でも自分の指導によるもののように言いたがるマッチョ集団の発言に思えたのは、私だけでしょうか。
そして、犯人も、自分の不運や不幸を他人のせいにし「自分を馬鹿にしている世間の奴らを
あっと言わせてやる!」と考えるような、何の宗教性も思想もない単細胞な男が、起こした
残虐行為にも思えるのです。
でも、もし、声明通り、ISの戦士だったとしたら….。
思わず、あの11月のテロの直後に上映禁止になった「宗教を捨て、習慣を捨て、まるで一般フランス人のようにふるまい生活をしながら、テロを企てる集団に潜入するジャーナリスト」の姿を描いた映画“Made in France”が、頭に浮かんでしまいました。
地道に汗を流して働き、自分だけでなく、周りの人の命も大事にして生きていく若者も大勢
いるのに、銃を持って無差別殺人をする事を、正しい行為だと信じて走る若者達…。
何より怖いのは、かつてヒットラーもやったように、インパクトのある単純な発言を、何度も繰りかえす行為によって、生まれた時から、考えるより先に行動する事が生きていく上で、何より大事だった貧困社会の中にいる若者達や、目立ちたいという欲望が強い若者達の心に「テロ行為は、正当である」ような勘違いが生まれ「衝撃を与える事は、強さである」という錯覚が、起きてしまう事です。
そんな彼らに対し、流した悲しみの涙を、意味のない差別行為で補おうするのではなく、心の強さに変えて、今ある危機を乗り越えていこうとする犠牲者の方達、自分達もそうありたいと願う人達がいます。
それなのに、昨年の11月以来、どんなに過酷な状況の中でも、テロから国民を守ろうと日夜頑張っている人達がいるという事を、一般国民以上に間近に見ている筈なのに、再び起きてしまったテロを利用し、極右ル・ペン派であるニース市長を抱き込み、テロの犠牲者の涙を、早速、利用して「自分だったら…」とのたまう、品格なんぞまったくないサルコジ。
どう考えても、そんな単純な問題でもなく、言うは易し、行うは難しの状況なのに、こんな奴が今や、テロに疲れた国民の心を上手に利用し、かつての大統領時代の数々の暴言や行動の反省本を出版し、一見謙虚そうに見せながら、頭隠して尻隠さずは見え見えなのに、うっかり騙される国民もいるらしく、徐々に権力を取り戻し、大統領への再選を狙っているらしい。
単純な言葉で、効果的に人の心にインパクトを与える人達。
そういう言葉に踊らされてしまう国民も悪いけれど、それを自分の政治力と勘違いし、自分は正しいと思いこむ権力に取りつかれた政治家達..。
ざっと考えただけでも、フランスで、アメリカで、日本で、世界中で、くだらないプライドばかり
強くて、自分や自分の家族が犠牲者になるのは嫌だけれど、国民の犠牲は、何とも思わないような、…、そんな政治家、かなりいませんか?
もしかしたら、世界中が、決してあがなえないような運命によって、動き始めたんじゃないか..と感じる今日この頃。
ジリジリと、少しづつ広がる突き刺すような痛みは、決してcaniculeのせいだけではないかもしれません。
by kanafr
| 2016-07-20 04:49
| フランスの出来事
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