2016年 11月 14日
あれから、1年、経った。
(画像お借りしました)
月日というのは、子供のころと違って、なんて早く過ぎ去っていくものなんだろうと思っていた。
あのパリ同時多発テロが起きるまでは...。
2015年1月のテロの時は、確かに衝撃的事件ではあったが、その後街の中で行きかう銃を持った兵士達の姿に「かえって、安全かもしれない」と友人達と言い合っていたものだ。
でも、そんな意識がいかに甘いものだったか思い知らされたのは、11月13日のパリ同時
多発テロだった。
私と同じように在住歴が長く、ミッテラン時代のテロを経験している友人達と会えば、話題はいつもこの同時多発テロの事になり、最後には必ず「あの時とは、違う、今までとは、違う」とため息をつきながら終わるのだ。
あの時、今まで経験した事のない時代が来た事を、2人とも、痛感したのだ。
あまりにも多くの犠牲者を出したパリ同時多発テロ...。
身近にテロの犠牲者になった話をあれほど聞くことはなく、あの時の静まり返った街の様子を未だに忘れる事ができない。
そして、それで終わりではなかったフランスへのテロ...。
そんなテロが起きるたびに、テロの直接的な犠牲者でなくても、深い闇の中に沈んでしまい
そうな気持になるのだ。
毎朝、仏壇代わりの棚に並んだ義父母や母の写真に向かい、朝の挨拶をする時、それまで何気なく繰り返していた家族の無事だったが、あのテロ以来、“オットや№2がテロにあわず、無事帰宅しますように!”という言葉が加わるようになった。
あんなに、過ぎ去っていく日々の早さを痛感していたのに、この1年は、なんとゆっくり時間が過ぎていったんだろう。
もう1年ではなく、やっと1年経ったという気がする。
最初に起きた1月のテロが原因となり、6月に失業した私。
毎日忙しく過ごしていたそれまでの日々が、いきなりなくなってしまったから、こんなに時間が経つのがゆっくりなのかもしれない...と、最初は、そう思った。
でも、失業することなく、仕事をしている友人達も「この1年、長かった気がする」と言うのだ。
もしかして、何事もない日常は心に突き刺さる部分がないだけ、手のひらで受けた砂のようにサラサラと、時が通り過ぎていくものかもしれない。
そんな長かった1年だったが、それでも必ず夜明けは来て、明日という日を迎えるのだ。
多くのフランス人達が、日常を取り戻す努力をし、普通に生活する事が、テロリストに屈しないことだと言う。
テロリストを作ってしまったのは、貧困と教育にあると多くの人が言う。
その一方で、テロリスト=ムスリム、テロリスト=移民と決めつけ、意味のないムスリムや
移民への差別が増えている。
世界中が、ナショナリズム化していると感じる今日この頃だ。
移民問題は、昨日今日始まった問題ではない。
何十年前より、はるかに進んだテクノロジーを得ているのに、少しも心は豊になったと感じられない人が多くなり、自分の不運を、自分とは違う民族、違う宗教のせいにするようになった。
あのパリ同時多発テロから1年目を迎えた11月13日、それまでの人生を、いきなり奪われてしまった多くの犠牲者の方達の為にも、希望を捨てずに、日々を大事に生きていこう、そして
違う事に反発や拒絶するのではなく、まずは、その違いを知り、認め合い受け入れる事、そうすれば、性別、年齢、人種、宗教、国境などのカテゴライズを乗り越えた新しく豊かな交流が生まれるのではないかと、あらためて思った。
そして、1983年に犬養道子さんが書かれた著作の中の移民問題に触れた文章を、もう一度心に刻んだ。
“中世初頭の民族移動・民族混合の大波が、痛みも苦しみをも、当然伴ったにもかかわらず、ヨーロッパ文化を飛躍的にゆたかなものにし、新しい呼吸を吹き入れたにも似て「新しい何か」が、この多民族社会の底に、芽吹く可能性はある”
そして、フランスのド・ゴール派の人々の言葉として
“今、困っても受け入れよ。できる限りたくさん。もし、フランスが難民を受け入れ、外国人受け入れを、過去において断っていたら、今、フランスの誇る文人・画人の中のかなりの人々は、フランス国土に現れず、われらの文化を豊かにしてはくれなかった”
(犬養道子氏著作本“アウトサイダーからの手紙”の中の文章から抜粋させていただきました)
勿論、あの時のフランスと今のフランスでは違う、という人もいるだろう。
多く難民を受け入れたせいで治安が悪くなり、経済も悪くなったという人も多いだろう。
それでも、この犬養さんの文章の中には“考え方が古い!時代に合っていない!”と、単純に切り捨ててはいけないものがあると思うのだ。
月日というのは、子供のころと違って、なんて早く過ぎ去っていくものなんだろうと思っていた。
あのパリ同時多発テロが起きるまでは...。
2015年1月のテロの時は、確かに衝撃的事件ではあったが、その後街の中で行きかう銃を持った兵士達の姿に「かえって、安全かもしれない」と友人達と言い合っていたものだ。
でも、そんな意識がいかに甘いものだったか思い知らされたのは、11月13日のパリ同時
多発テロだった。
私と同じように在住歴が長く、ミッテラン時代のテロを経験している友人達と会えば、話題はいつもこの同時多発テロの事になり、最後には必ず「あの時とは、違う、今までとは、違う」とため息をつきながら終わるのだ。
あの時、今まで経験した事のない時代が来た事を、2人とも、痛感したのだ。
あまりにも多くの犠牲者を出したパリ同時多発テロ...。
身近にテロの犠牲者になった話をあれほど聞くことはなく、あの時の静まり返った街の様子を未だに忘れる事ができない。
そして、それで終わりではなかったフランスへのテロ...。
そんなテロが起きるたびに、テロの直接的な犠牲者でなくても、深い闇の中に沈んでしまい
そうな気持になるのだ。
毎朝、仏壇代わりの棚に並んだ義父母や母の写真に向かい、朝の挨拶をする時、それまで何気なく繰り返していた家族の無事だったが、あのテロ以来、“オットや№2がテロにあわず、無事帰宅しますように!”という言葉が加わるようになった。
あんなに、過ぎ去っていく日々の早さを痛感していたのに、この1年は、なんとゆっくり時間が過ぎていったんだろう。
もう1年ではなく、やっと1年経ったという気がする。
最初に起きた1月のテロが原因となり、6月に失業した私。
毎日忙しく過ごしていたそれまでの日々が、いきなりなくなってしまったから、こんなに時間が経つのがゆっくりなのかもしれない...と、最初は、そう思った。
でも、失業することなく、仕事をしている友人達も「この1年、長かった気がする」と言うのだ。
もしかして、何事もない日常は心に突き刺さる部分がないだけ、手のひらで受けた砂のようにサラサラと、時が通り過ぎていくものかもしれない。
そんな長かった1年だったが、それでも必ず夜明けは来て、明日という日を迎えるのだ。
多くのフランス人達が、日常を取り戻す努力をし、普通に生活する事が、テロリストに屈しないことだと言う。
テロリストを作ってしまったのは、貧困と教育にあると多くの人が言う。
その一方で、テロリスト=ムスリム、テロリスト=移民と決めつけ、意味のないムスリムや
移民への差別が増えている。
世界中が、ナショナリズム化していると感じる今日この頃だ。
移民問題は、昨日今日始まった問題ではない。
何十年前より、はるかに進んだテクノロジーを得ているのに、少しも心は豊になったと感じられない人が多くなり、自分の不運を、自分とは違う民族、違う宗教のせいにするようになった。
あのパリ同時多発テロから1年目を迎えた11月13日、それまでの人生を、いきなり奪われてしまった多くの犠牲者の方達の為にも、希望を捨てずに、日々を大事に生きていこう、そして
違う事に反発や拒絶するのではなく、まずは、その違いを知り、認め合い受け入れる事、そうすれば、性別、年齢、人種、宗教、国境などのカテゴライズを乗り越えた新しく豊かな交流が生まれるのではないかと、あらためて思った。
そして、1983年に犬養道子さんが書かれた著作の中の移民問題に触れた文章を、もう一度心に刻んだ。
そして、フランスのド・ゴール派の人々の言葉として
“今、困っても受け入れよ。できる限りたくさん。もし、フランスが難民を受け入れ、外国人受け入れを、過去において断っていたら、今、フランスの誇る文人・画人の中のかなりの人々は、フランス国土に現れず、われらの文化を豊かにしてはくれなかった”
(犬養道子氏著作本“アウトサイダーからの手紙”の中の文章から抜粋させていただきました)
勿論、あの時のフランスと今のフランスでは違う、という人もいるだろう。
多く難民を受け入れたせいで治安が悪くなり、経済も悪くなったという人も多いだろう。
それでも、この犬養さんの文章の中には“考え方が古い!時代に合っていない!”と、単純に切り捨ててはいけないものがあると思うのだ。
#
by kanafr
| 2016-11-14 09:41
| フランスの出来事
|
Trackback