2016年 02月 03日
日曜日に届いた、日本で一緒に仕事をしていたS子さんからのメール。
かつてS子さんや私がいた会社は、男性は、社長、常務、専務のみで、企画デザイン、営業、仕入れ、加工、経理、販売も全て女性という当時の業界の中では、珍しい会社だった。
メールの内容は、その会社での経理だったMさんの訃報を知らせるメールだった。
疎遠にはなっていたが、何だかずっとお元気でいると思っていたのでショックだった。
女性ばかりの会社で、Mさんは、みんなのお母さんのような存在だったんじゃないかと思う。
残業申請を出すたび、出張の経費を精算するたび「また、日付けを書き間違えしているわよ」「明細書と添付レシートだけど、この日のレシートと、こっちの日のレシートが逆!」と叱られていた私。
“そんな日付の書き間違いくらい、いいじゃない?”“計算間違いで叱るなら分かるけど、単に明細書に留めるレシートを、挟み間違えしただけなのになあ。レシートの金額を見て、逆だと分かったんだったら、こんな風に呼びつけなくてもいいんじゃないの?”と、まだ若かった私は自分のミスを棚に上げっぱなしにして、口には出さないが、不満そうだったんだと思う。
「経理は、暇じゃないの!こういう事は、経理がやるのではなく、申請する人が提出する前にキチンと間違っていないかどうかチェックしてから回すものです!いい加減にやって、他のセクションに迷惑をかけない!」とさらにビシッと叱られ、自分のずさんな性格を反省したものだ。
でも、叱った後は、ニッコリ笑顔で「今度から気をつけてね」と言ってくれる人だった。
勿論、どこの会社にもあるような不満や人間関係のちょっとした軋轢はあったが、今思い返しても、それぞれが担当するセクションを超えて、毎日ワイワイガヤガヤ楽しく、まるで大家族のように、女性同士だったが、みんな仲良しだったと思う。
仕事は、毎日かなりハードだったにもかかわらず、仕事終わりにはみんなで食事に行ったり、バーゲンに行ったり、当時ディスコと言っていた場所にも遊びにいったものだ。
Mさんは、バーゲンや、踊りに行くという事には参加されなかったが、食事会の時には、大抵参加されていたんじゃないかと思う。
いつもニコニコして、世代の違うみんなの話を聞いていたが、時には「それは、違うと思うけどなあ」と、みんなのお母さんらしいアドヴァイスやご注意もしてくださった。
その後、私のように、その会社を辞める人はいたが、辞めても、会社の仲間としての友情は続いていた。
日本に帰国した時には、Mさんはじめ、みんなが集まってくれて昔話で盛り上がったりした。
Mさんが亡くなられたのは、去年の7月だったらしい。
それまで折に触れて、連絡を取り合っていた会社の仲間だったKさんが、連絡が来なくなったMさんを心配し、Mさんに書いた手紙が弟さんに転送され、Mさんがすでに亡くなられているというご連絡をいただいたらしい。
亡くなられたのは半年以上も前だったが、数日前、会社のOG達が集まってMさんを偲ぶ会をおこなったとS子さんのメールにあった。
享年74歳だったMさん。
「一番のご供養は、傍にいなくてもその人を思う事なの。だから、沢山、沢山思ってあげてね」と、母を亡くした私に、こんな温かい言葉をかけてくれたのに、私より先に旅立ってしまった
住職の奥様だった大学時代の友人の優しい笑顔と言葉を、こんな時、いつも思い出す。
会社を辞めてからも、ずっと友情は続き、こうやってMさんを偲ぶ会をやってくれる仲間がいる事を、きっとMさん、喜んでいるに違いない。
その人を語る時、その人との思い出が、いつも元気で明るい笑顔に溢れた顔だったというのもMさんの人徳だろう。
いつか、私も逝くだろう。
その時には、№2が日頃、私を称してよく言うように「お母さんは、変わっている」だけでなく、Mさんのように「いつも笑顔だったね」という思い出を語られる人になっていたい。
こんな風に、Mさんは、最期まで私に大事な事を教えてくれたお母さんだった。
本当に有難うございました、Mさん。
合掌。
そして、Mさんの事を私に連絡するように言ってくださったKさんや、日々お忙しいのに私に
メールくださったS子さんに、感謝しています。有難う。
かつてS子さんや私がいた会社は、男性は、社長、常務、専務のみで、企画デザイン、営業、仕入れ、加工、経理、販売も全て女性という当時の業界の中では、珍しい会社だった。
メールの内容は、その会社での経理だったMさんの訃報を知らせるメールだった。
疎遠にはなっていたが、何だかずっとお元気でいると思っていたのでショックだった。
女性ばかりの会社で、Mさんは、みんなのお母さんのような存在だったんじゃないかと思う。
残業申請を出すたび、出張の経費を精算するたび「また、日付けを書き間違えしているわよ」「明細書と添付レシートだけど、この日のレシートと、こっちの日のレシートが逆!」と叱られていた私。
“そんな日付の書き間違いくらい、いいじゃない?”“計算間違いで叱るなら分かるけど、単に明細書に留めるレシートを、挟み間違えしただけなのになあ。レシートの金額を見て、逆だと分かったんだったら、こんな風に呼びつけなくてもいいんじゃないの?”と、まだ若かった私は自分のミスを棚に上げっぱなしにして、口には出さないが、不満そうだったんだと思う。
「経理は、暇じゃないの!こういう事は、経理がやるのではなく、申請する人が提出する前にキチンと間違っていないかどうかチェックしてから回すものです!いい加減にやって、他のセクションに迷惑をかけない!」とさらにビシッと叱られ、自分のずさんな性格を反省したものだ。
でも、叱った後は、ニッコリ笑顔で「今度から気をつけてね」と言ってくれる人だった。
勿論、どこの会社にもあるような不満や人間関係のちょっとした軋轢はあったが、今思い返しても、それぞれが担当するセクションを超えて、毎日ワイワイガヤガヤ楽しく、まるで大家族のように、女性同士だったが、みんな仲良しだったと思う。
仕事は、毎日かなりハードだったにもかかわらず、仕事終わりにはみんなで食事に行ったり、バーゲンに行ったり、当時ディスコと言っていた場所にも遊びにいったものだ。
Mさんは、バーゲンや、踊りに行くという事には参加されなかったが、食事会の時には、大抵参加されていたんじゃないかと思う。
いつもニコニコして、世代の違うみんなの話を聞いていたが、時には「それは、違うと思うけどなあ」と、みんなのお母さんらしいアドヴァイスやご注意もしてくださった。
その後、私のように、その会社を辞める人はいたが、辞めても、会社の仲間としての友情は続いていた。
日本に帰国した時には、Mさんはじめ、みんなが集まってくれて昔話で盛り上がったりした。
Mさんが亡くなられたのは、去年の7月だったらしい。
それまで折に触れて、連絡を取り合っていた会社の仲間だったKさんが、連絡が来なくなったMさんを心配し、Mさんに書いた手紙が弟さんに転送され、Mさんがすでに亡くなられているというご連絡をいただいたらしい。
亡くなられたのは半年以上も前だったが、数日前、会社のOG達が集まってMさんを偲ぶ会をおこなったとS子さんのメールにあった。
享年74歳だったMさん。
「一番のご供養は、傍にいなくてもその人を思う事なの。だから、沢山、沢山思ってあげてね」と、母を亡くした私に、こんな温かい言葉をかけてくれたのに、私より先に旅立ってしまった
住職の奥様だった大学時代の友人の優しい笑顔と言葉を、こんな時、いつも思い出す。
会社を辞めてからも、ずっと友情は続き、こうやってMさんを偲ぶ会をやってくれる仲間がいる事を、きっとMさん、喜んでいるに違いない。
その人を語る時、その人との思い出が、いつも元気で明るい笑顔に溢れた顔だったというのもMさんの人徳だろう。
いつか、私も逝くだろう。
その時には、№2が日頃、私を称してよく言うように「お母さんは、変わっている」だけでなく、Mさんのように「いつも笑顔だったね」という思い出を語られる人になっていたい。
こんな風に、Mさんは、最期まで私に大事な事を教えてくれたお母さんだった。
本当に有難うございました、Mさん。
合掌。
そして、Mさんの事を私に連絡するように言ってくださったKさんや、日々お忙しいのに私に
メールくださったS子さんに、感謝しています。有難う。
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by kanafr
| 2016-02-03 11:23
| 心に残る素敵な人達
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