2011年 05月 23日
母が私に伝えたかった事
|
20日は、亡くなった母の誕生日でした。
でも、おばの自由に生きる教育がすっかり自分の根っこになっていた私は、だんだん思春期になり反抗期を迎えるようになると、母に猛反発をし始めました。
「貴女は何度言ってもわからない!」その頃、母からよく言われた言葉です。
でも、ちょうどその頃オットに大きな仕事のチャンスが訪れ、何度も話し合った結果自分達の生活を優先させた私達は、母を呼び寄せる事にしました。
昔おばの所から来た私に母が驚いたように、今度は私が驚く番でした。
あんなに何もかもキチンとしていた母は、一体どこに行ってしまったんだろう...
話した事を数秒立つと忘れ、何度説明しても、今、自分が居る場所がフランスである事さえ分かりませんでした。
粗相したものは自分のベッドの下や棚に隠し、午後5時になると必ず「失礼します」と言って外へ出ようとしました。
住んでいた所がパリ郊外の小さな村だったので、私が知らないまま一人で外に行ってしまう母を急いで追いかけると、周りの人が色んな手助けをしてくれました。
でも、だんだんそんな生活が来る日も来る日も続くと、私の中の素敵だった母の姿はドンドン消えていきました。
そして「私が、貴女に教えたことですよ」と言いました。
母はこうして時々昔の母を取り戻し、また遠くに行ってしまう..そんな母が切なく愛おしく心が痛くなって、思いっきり母を抱きしめました。
声をあげて泣く私に「まあ、子供みたいにどうしたの?」と笑いながら、母を抱いた私の背中を何度もさすってくれました。
今から思えば、母にとって記憶が薄れていく前に、どうしても私に伝えたかった言葉が「身を美しく」だったんだと分かります。
母が私に残してくれたこの言葉通りに、はたして私は生きているでしょうか?
いくら私でもそういう嘘はつけません。
だからせめて母の誕生日位、そういう一日でありたいと思うのです。
そして、日頃口先だけで実際はフワ~っと深く考えずに生きている私ですが、たった一文字に母親の願いがギュッとこもったこの言葉のように、№2に私は一体何を伝えられるだろうかと、深く考える日にしたいと思っているのです。
亡くなった時に立ち会えなかった私は、今でも亡くなった日よりも、母の誕生日に
母を強く思い出す事の方が多いのです。
母はこんな風にたたんでいたなあと思いながら、昨日もアイロンがけしたシャツを
たたみましたが、どうやっても母のようにうまくいきません。
母のたたみ方は、まるで定規を使っているかのように、どんな物でもビシっと同じ
サイズになり、洗ったストッキングも母の手にかかると、まるで新品を袋から出した
ようになるのです。
スーパーの袋も丁寧に伸ばし、キチンと小さく折りたたみ、着古したTシャツや
トレーナーは、ある程度の大きさに切って靴磨きなどの使えるように保管して置く。
そんな風に日常の細々とした事を沢山教わってきた筈なのに、何一つ身に備わって
いない私を見て、きっと天国で苦笑している事でしょう。
離婚後、私を遠い親戚のおば一家に預け、貿易会社を営んでいた大伯父の会社でバリ
バリ働いていた母にとって、一ヶ月に2回だけ会う私が、母とは全く正反対な性格の
「細かい事は気にしな~い!人生何とかなるさ!」のおばに、ドンドン影響されて
いくのが耐えられなかったそうで、小学校入学と共に一緒に暮らし始めました。
母にとって、私との生活は初日早々から驚愕する事ばかりで、まずは朝の挨拶から
始まって食事の食べ方など、何もかもおば流になっている私を鍛え直すことから
始まりました。
私からして見れば、昨日まで許されていたあんな事やこんな事に、急にダメ!と
言われ、もう目が白黒するばかりでしたが、それでもそんな厳しい母の言う事を
聞かなきゃと決心させたのは、月2回おばの所に来る母が、抱きしめてくれると、
いつもいい匂いがして、黒やグレーのお洒落な洋服に身を包んでいる素敵な人だったから..
そんな憧れが、幼い心を支えていたんじゃないかって思います。
でも、おばの自由に生きる教育がすっかり自分の根っこになっていた私は、だんだん思春期になり反抗期を迎えるようになると、母に猛反発をし始めました。
「貴女は何度言ってもわからない!」その頃、母からよく言われた言葉です。
思春期のギクシャクした関係はそのままずっと続き、その後、結婚してフランスに
住むことになった私に、母は「私の言ってきた事の意味がようやく分かる時が来た
わね」と言いました。
母は、一人暮らしになる寂しさよりも、それまで毎日気苦労が絶えなかった私から
解放されるホッとした思いもあったのでしょう。
「これでやっと自由に自分のやりたい事が出来るわ!」と言っていた母でしたが、
その後初期のアルツハイマーになり、一人暮らしができなくなりました。
でも、ちょうどその頃オットに大きな仕事のチャンスが訪れ、何度も話し合った結果自分達の生活を優先させた私達は、母を呼び寄せる事にしました。
昔おばの所から来た私に母が驚いたように、今度は私が驚く番でした。
あんなに何もかもキチンとしていた母は、一体どこに行ってしまったんだろう...
話した事を数秒立つと忘れ、何度説明しても、今、自分が居る場所がフランスである事さえ分かりませんでした。
粗相したものは自分のベッドの下や棚に隠し、午後5時になると必ず「失礼します」と言って外へ出ようとしました。
何度教えても忘れてしまう、1日に何度もしなきゃいけない掃除、夜中に起きだす
母が心配でちょっと物音がしただけで、目覚める状態が続き、私の疲労も限界に
達していました。
その頃はW社はじめ何社かの日本の会社と契約し、月1度デザイン画を送る仕事を
していたので、殆ど外に出ることもなく母の世話をする事はできましたが、少しでも視覚から母の姿が消えると不安になり、30分も集中して仕事する事はできません。
幼稚園児だった№2の送り迎えも、朝はオットがやってくれましたが、夕方は私が
行かなくてはなりません。
住んでいた所がパリ郊外の小さな村だったので、私が知らないまま一人で外に行ってしまう母を急いで追いかけると、周りの人が色んな手助けをしてくれました。
でも、だんだんそんな生活が来る日も来る日も続くと、私の中の素敵だった母の姿はドンドン消えていきました。
昔の母を期待してもダメ、あるがままの今の母を受け入れるしかないと思いながら、
そういう母を受け入れる事がなかなかできませんでした。
そんな事ばかりが続いたある日、ふと「アレ!?躾ってどう書いたっけ?」と呟いた私に、あんなにあらゆる事を忘れてしまって、時には私の事さえ忘れてしまう母が
「身を美しくですよ」と言ったのです。
そして「私が、貴女に教えたことですよ」と言いました。
母はこうして時々昔の母を取り戻し、また遠くに行ってしまう..そんな母が切なく愛おしく心が痛くなって、思いっきり母を抱きしめました。
声をあげて泣く私に「まあ、子供みたいにどうしたの?」と笑いながら、母を抱いた私の背中を何度もさすってくれました。
今から思えば、母にとって記憶が薄れていく前に、どうしても私に伝えたかった言葉が「身を美しく」だったんだと分かります。
母は「心が美しければ、身も美しくなる、それが身を美しくという事なのよ」と、
自分に自信がなくイライラしていた思春期の私によく言っていました。
母が私に残してくれたこの言葉通りに、はたして私は生きているでしょうか?
いくら私でもそういう嘘はつけません。
だからせめて母の誕生日位、そういう一日でありたいと思うのです。
そして、日頃口先だけで実際はフワ~っと深く考えずに生きている私ですが、たった一文字に母親の願いがギュッとこもったこの言葉のように、№2に私は一体何を伝えられるだろうかと、深く考える日にしたいと思っているのです。
by kanafr
| 2011-05-23 08:47
| 母、オット、№2、私
|
Trackback
|
Comments(29)
Commented
by
whitelacenonyo at 2011-05-23 09:19
今私は、涙が止まりません。
素晴らしいお母さま・・・という
ことばだけはで表現できない程、感動しております。
躾・・・漢字の素晴らしさですね。
たった一人の子供に必死で伝えようとしたおかあさま、
そして、私はkanaさんにまだお会いしてはいませんが、
精神性の高さや
綴られる文章から、
お母さまの心が充分に受け継がれていらっしゃると確信しております。
素晴らしいお母さま・・・という
ことばだけはで表現できない程、感動しております。
躾・・・漢字の素晴らしさですね。
たった一人の子供に必死で伝えようとしたおかあさま、
そして、私はkanaさんにまだお会いしてはいませんが、
精神性の高さや
綴られる文章から、
お母さまの心が充分に受け継がれていらっしゃると確信しております。
0
Commented
by
shinn-lily at 2011-05-23 10:43
親ってどんなに頑張っても超えられないと思っているのです。
自分を思ってくれる気持ちがとても大きくて、その気持ちにどうやってこたえていけばよいのだろうかと、今元気でいてくれるうちにと思う毎日です。
わたしの母もとてもきちんとした仕事をするのに、子供たちには受け継がれていません。
育て方が悪かった、みんなやってしまうから手をだせなかったなどと悪態をついていますが、今教えてもらえることを、しっかりと教えてもらわなくては、少なくとも昔よりはすなおな心で聞けるようになりましたから。
でも問題はその次
どうやって娘に伝えていくか・・・・ああ、さまようばかりです。
kanafrさんの文章を読んで、これという言葉にはならないのですが
とても深く感じております。
自分を思ってくれる気持ちがとても大きくて、その気持ちにどうやってこたえていけばよいのだろうかと、今元気でいてくれるうちにと思う毎日です。
わたしの母もとてもきちんとした仕事をするのに、子供たちには受け継がれていません。
育て方が悪かった、みんなやってしまうから手をだせなかったなどと悪態をついていますが、今教えてもらえることを、しっかりと教えてもらわなくては、少なくとも昔よりはすなおな心で聞けるようになりましたから。
でも問題はその次
どうやって娘に伝えていくか・・・・ああ、さまようばかりです。
kanafrさんの文章を読んで、これという言葉にはならないのですが
とても深く感じております。
Commented
by
mimijean at 2011-05-23 19:35
*こんにちは。
すてきなお母さまですね。
私は日本には姉しか家族がいないので、そういうお母さまがついてらしたKANAさんがうらやましいです。
母親って何だろうと私は考えてここ数年生きてきましたが、KANAさんのようなおかあさまが、本当の母親だと、実感させられました。
このブログを読み、私は、自分の母親を重ねたのではなく、自分の祖母を重ねて読ませていただきました。
「心美しければ、身も美しくなる、それが身を美しくという事なのよ」ほんと、その通りだとおもいます。
すてきなお母さまですね。
私は日本には姉しか家族がいないので、そういうお母さまがついてらしたKANAさんがうらやましいです。
母親って何だろうと私は考えてここ数年生きてきましたが、KANAさんのようなおかあさまが、本当の母親だと、実感させられました。
このブログを読み、私は、自分の母親を重ねたのではなく、自分の祖母を重ねて読ませていただきました。
「心美しければ、身も美しくなる、それが身を美しくという事なのよ」ほんと、その通りだとおもいます。
Commented
by
akicosmosA at 2011-05-23 19:48
娘側の気持ち・・・母の立場としての気持ち両方胸が詰まるくらい
切なく母を思い出し泣けました。
こういうお母様だったから kanafr さんの今があるのですね。
ちゃんとお母様の教えを身につけNO2さんも健やかに賢くお育てに
なっていますよと空のお母さまへお手紙を出して差し上げたいです。
*心美しければ、身も美しくなる、それが身を美しくという事なのよ*
ハッとする言葉です。
私も自分に問います・・出来てる?と。
切なく母を思い出し泣けました。
こういうお母様だったから kanafr さんの今があるのですね。
ちゃんとお母様の教えを身につけNO2さんも健やかに賢くお育てに
なっていますよと空のお母さまへお手紙を出して差し上げたいです。
*心美しければ、身も美しくなる、それが身を美しくという事なのよ*
ハッとする言葉です。
私も自分に問います・・出来てる?と。
Commented
by
poirier_AAA at 2011-05-23 20:50
今日の記事を拝見して、わたしもこれまでに与えてもらったものの重さと、今は子どもに何かを伝える立場になった自分の責任を意識しました。わたしの場合は子どもの躾云々の前に、自分のお気楽生活の改善から始めないと、です。。。
Commented
at 2011-05-24 02:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
mj
at 2011-05-24 02:28
x
深く深く染みいるお話しです。kanaさんが素敵なのは、お母様の心のあり方が美しかったからなのでしょうね。。いい歳してまだまだ反抗心たっぷりで、そんな自分に後から呆れることしばしばです。。苦言の数々はありがたいものだと解ってますが、やっぱりまだ本当には解ってないのでしょうね。後での後悔が大きくなりすぎないよう、日々ちょっとづつ心美しくありたいと思いました。
Commented
by
lilia109 at 2011-05-24 10:58
すごく良いお話を有り難うございます。
奇しくも、わたくしも今回、「タイムスリップして、自分を生む前の母親に会いに行く」という浅田次郎作の映画の記事を書いたところでした。
親と子って、葛藤しながらも、切っても切れずにずっと、、たとえ存在は無くなっても、心の中にあり続けるのですよねえ。
お母さま、わたくしの理想とする女性です。
わたくしが昨年入院した際、見ず知らずのわたくしに、色々暖かい贈り物を送って下さったkanafrさん、やはりお母さまのDNA、受け継いでいらっしゃるのだと実感しました。
痴呆になったり粗相をしてしまったりするのはお母さまの本意では無いでしょうが、それでも「身を美しく」という言葉が、サラッと口に出る辺り、、いつもそれを念頭に、生きていらっしゃった方なのでしょうね。
すぐに施設に預けてしまうご家庭が多い中、お母さまをフランスに呼び寄せられたkanafrさんご一家にも敬服致します。
奇しくも、わたくしも今回、「タイムスリップして、自分を生む前の母親に会いに行く」という浅田次郎作の映画の記事を書いたところでした。
親と子って、葛藤しながらも、切っても切れずにずっと、、たとえ存在は無くなっても、心の中にあり続けるのですよねえ。
お母さま、わたくしの理想とする女性です。
わたくしが昨年入院した際、見ず知らずのわたくしに、色々暖かい贈り物を送って下さったkanafrさん、やはりお母さまのDNA、受け継いでいらっしゃるのだと実感しました。
痴呆になったり粗相をしてしまったりするのはお母さまの本意では無いでしょうが、それでも「身を美しく」という言葉が、サラッと口に出る辺り、、いつもそれを念頭に、生きていらっしゃった方なのでしょうね。
すぐに施設に預けてしまうご家庭が多い中、お母さまをフランスに呼び寄せられたkanafrさんご一家にも敬服致します。
Commented
by
saheizi-inokori at 2011-05-24 11:01
私の母は突然死でした。
生きていれば、、と思いながら涙がでました。
生きていれば、、と思いながら涙がでました。
Commented
at 2011-05-24 23:49
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
yumiyane at 2011-05-25 00:37
お母さんね。
悲しいね。後悔することはないけど、もう取り返しがつかない気持ちもあるしね。
でも、kanaさんのこの思いがずーっとひきずってるこの思いが、おかあさんにきっと届いているし、取り返しはついていると思います。
私も母のこと思い出すとまだまだだめ。もう26年経ったのに。母の命日は5月21日なのです。
失礼します、といって帰ろうとするところとか、同じでした。昔几帳面だったところとか。
私は母を反面教師として、ああいう風にはならないようにしよう、と思っていたのです、ああいう古い女性ではいたくないって。でもね、心の底から今一番会いたい人は母です。ずーっとね。
悲しいね。後悔することはないけど、もう取り返しがつかない気持ちもあるしね。
でも、kanaさんのこの思いがずーっとひきずってるこの思いが、おかあさんにきっと届いているし、取り返しはついていると思います。
私も母のこと思い出すとまだまだだめ。もう26年経ったのに。母の命日は5月21日なのです。
失礼します、といって帰ろうとするところとか、同じでした。昔几帳面だったところとか。
私は母を反面教師として、ああいう風にはならないようにしよう、と思っていたのです、ああいう古い女性ではいたくないって。でもね、心の底から今一番会いたい人は母です。ずーっとね。
Commented
by
kanafr at 2011-05-25 10:32
whitelacenonyoさん 今晩は
生前は、母は私を私の大事な宝物と公言していましたが、それがうっとうしくてなりませんでした。宝物と言う割には、私の好きにさせてくれないじゃないの!なんて思ったものです。
私の場合、あまりにも、亡くなって初めて分かる事が多すぎるんです。
だから、こうやってブログで母の事を書く事で母への詫び状という事を
しているんだと思います。
生前は、母は私を私の大事な宝物と公言していましたが、それがうっとうしくてなりませんでした。宝物と言う割には、私の好きにさせてくれないじゃないの!なんて思ったものです。
私の場合、あまりにも、亡くなって初めて分かる事が多すぎるんです。
だから、こうやってブログで母の事を書く事で母への詫び状という事を
しているんだと思います。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 05:42
shinn-lilyさん 今晩は
私の場合、shinn-lilyさんと違って、母子二人の生活がずっと続いていたので、もう息苦しくて仕方がなかったんです。
性格が似ていればそんな事もなかったんでしょうが、性格的には水と油で、よくおばを引き合いに出して叱られました。
沢山色んな事教わった筈なんですけれどねえ。
でも一番心に残ったのは、この言葉だったんです。
ただ娘の私から見てもキチンとしている人だったので、それだけで手本になる人でしたが、№2には..って考えると、これが難しい。
あるがままの私を見て、反面教師でしっかりしてもらうしかないって最近では開き直っていますが、時々こういう風にして反省しているんです。
私の場合、shinn-lilyさんと違って、母子二人の生活がずっと続いていたので、もう息苦しくて仕方がなかったんです。
性格が似ていればそんな事もなかったんでしょうが、性格的には水と油で、よくおばを引き合いに出して叱られました。
沢山色んな事教わった筈なんですけれどねえ。
でも一番心に残ったのは、この言葉だったんです。
ただ娘の私から見てもキチンとしている人だったので、それだけで手本になる人でしたが、№2には..って考えると、これが難しい。
あるがままの私を見て、反面教師でしっかりしてもらうしかないって最近では開き直っていますが、時々こういう風にして反省しているんです。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 05:52
mimijeanさん 今晩は
お褒めいただいて有難うございます。母もきっとmimiさんにこんな風に言っていただいて喜んでいると思います。
“ホラね、貴女以外の人は、皆さん、分かって下さるでしょ”って言う声も聞こえてきそうです(苦笑)
苦手だったのに、会えるなら一番会いたい人であり、今も辛い時心の中で母を頼り話しかけている自分がいるんです。
きっとmimiさんもお祖母様にそのようになさっているのかもしれないと
思いました。
お褒めいただいて有難うございます。母もきっとmimiさんにこんな風に言っていただいて喜んでいると思います。
“ホラね、貴女以外の人は、皆さん、分かって下さるでしょ”って言う声も聞こえてきそうです(苦笑)
苦手だったのに、会えるなら一番会いたい人であり、今も辛い時心の中で母を頼り話しかけている自分がいるんです。
きっとmimiさんもお祖母様にそのようになさっているのかもしれないと
思いました。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 06:07
こすもすさん 今晩は
娘だった時には見えていなかったことが、自分も親になって初めて理解できるとよく色んな人から言われましたが、私の場合どうも理解度数が低いようで、そういう場面になって初めて気づくと言う事が多く、今もまだそんな日々を送っています。
母の残してくれた言葉は、多分私にとって永遠の宿題なんだと思います。
娘だった時には見えていなかったことが、自分も親になって初めて理解できるとよく色んな人から言われましたが、私の場合どうも理解度数が低いようで、そういう場面になって初めて気づくと言う事が多く、今もまだそんな日々を送っています。
母の残してくれた言葉は、多分私にとって永遠の宿題なんだと思います。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 06:18
梨の木さん 今晩は
ご自身のお気楽生活の改善からなんておしゃっていますが、そんな事ないですよ。
私なんかよりず――とお若い梨の木さんが、すごくすごく日々の生活や人生をご家族を大切に深く考えていらっしゃいますもの。
お子さん達、素敵なお母さまでお幸せだなっていつも思っているんですよ。
ご自身のお気楽生活の改善からなんておしゃっていますが、そんな事ないですよ。
私なんかよりず――とお若い梨の木さんが、すごくすごく日々の生活や人生をご家族を大切に深く考えていらっしゃいますもの。
お子さん達、素敵なお母さまでお幸せだなっていつも思っているんですよ。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 06:33
05-24 02;16の鍵コメさん 今晩は
母は腎臓が悪かったせいで、母子二人の生活でもし自分に何かあったら..と思うと気が気じゃなく、キチンとした子供に育てたいと思っていたようです。それがずれまくりで、親の心、子知らずに育っちゃったもんですから20歳過ぎても干渉しっぱなしでした。
それ位親不幸な娘だった訳です。母が亡くなって残してくれた物の大きさをやっと少しづつ理解している所です。
この前からのお話、とても嬉しいです。
そちらにお返事させていただきました♪
母は腎臓が悪かったせいで、母子二人の生活でもし自分に何かあったら..と思うと気が気じゃなく、キチンとした子供に育てたいと思っていたようです。それがずれまくりで、親の心、子知らずに育っちゃったもんですから20歳過ぎても干渉しっぱなしでした。
それ位親不幸な娘だった訳です。母が亡くなって残してくれた物の大きさをやっと少しづつ理解している所です。
この前からのお話、とても嬉しいです。
そちらにお返事させていただきました♪
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 06:45
mjさん 今晩は
今、№2から“またかよ~!”と文句言われたばかりなのでmjさんが
>kanaさんが素敵なのは...
と書いてくださった事に、激しく心揺さぶられています(苦笑)
反抗心とお書きになっていらっしゃるけれど、私もmjさんぐらいの時はもっともっと激しく母に反抗しておりましたよ。←自慢してどうする!ですが...。
母を引き取った時の事も、もっと書きたかったのですが、ドンドン長くなってしまいそうなので、短く「疲労も限界」と書きましたが、実際はもう大変な毎日でした。
そんな大変な1日のたったヒトコマの言葉が、今になってズーンと心に残った訳です。
そんな母からの大きな宿題を抱えたまま、今日も№2と醜くバトルしているので、本当に情けないですよ、まったく(苦笑)
その母からの宿題は、
今、№2から“またかよ~!”と文句言われたばかりなのでmjさんが
>kanaさんが素敵なのは...
と書いてくださった事に、激しく心揺さぶられています(苦笑)
反抗心とお書きになっていらっしゃるけれど、私もmjさんぐらいの時はもっともっと激しく母に反抗しておりましたよ。←自慢してどうする!ですが...。
母を引き取った時の事も、もっと書きたかったのですが、ドンドン長くなってしまいそうなので、短く「疲労も限界」と書きましたが、実際はもう大変な毎日でした。
そんな大変な1日のたったヒトコマの言葉が、今になってズーンと心に残った訳です。
そんな母からの大きな宿題を抱えたまま、今日も№2と醜くバトルしているので、本当に情けないですよ、まったく(苦笑)
その母からの宿題は、
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 07:04
liliaさん 今晩は
母と娘って同じ女性だけに、母親からすれば娘のいい所も悪いところも色んな事が見えてしまうんでしょうね。
だから私の母は私が心配でたまらなかったんだと思います。
人よりプライドが高い人だったので、痴呆症になり粗相したりする自分が許せなかったんだと思います。
母の言葉の事を書きたかったので、母と一緒に暮らした事を割愛してしまいましたから、liliaさんはじめ皆さんに、ちょっと私がいい人みたいな印象を与えてしまいましたね。本当にスミマセン。
母がフランスで暮らしたのは。たった1年でした。
私が、疲労困憊し、手術をしなきゃいけない状態だったせいもあり、結局1年で母を手放し病院に入れてしまいました。
その事は、ずっとずっと後悔している事です。
私の中には母を殺したのは自分という意識がずっとあって消えないんです。
母と娘って同じ女性だけに、母親からすれば娘のいい所も悪いところも色んな事が見えてしまうんでしょうね。
だから私の母は私が心配でたまらなかったんだと思います。
人よりプライドが高い人だったので、痴呆症になり粗相したりする自分が許せなかったんだと思います。
母の言葉の事を書きたかったので、母と一緒に暮らした事を割愛してしまいましたから、liliaさんはじめ皆さんに、ちょっと私がいい人みたいな印象を与えてしまいましたね。本当にスミマセン。
母がフランスで暮らしたのは。たった1年でした。
私が、疲労困憊し、手術をしなきゃいけない状態だったせいもあり、結局1年で母を手放し病院に入れてしまいました。
その事は、ずっとずっと後悔している事です。
私の中には母を殺したのは自分という意識がずっとあって消えないんです。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 09:26
saheijiさん 今晩は
心の準備ができないうちに、突然亡くなられたというのも辛いですね。
でも、親が年を取っていくという状態を見ていても、子供のとって親は死なないって信じているんだと思います。
だから、今回の地震で突然親御さんを亡くされた子供達の辛さを思うと本当に辛くなります。
心の準備ができないうちに、突然亡くなられたというのも辛いですね。
でも、親が年を取っていくという状態を見ていても、子供のとって親は死なないって信じているんだと思います。
だから、今回の地震で突然親御さんを亡くされた子供達の辛さを思うと本当に辛くなります。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 09:32
05;24 23;49 の鍵コメさん 今晩は
色々有難う。
何もできないのに、一緒にいる気持ちにさせてくれて、嬉しいです。
そうね、私もそういう生き方しかできなかったんだって思います。
そちらに返事しましたよ。
色々有難う。
何もできないのに、一緒にいる気持ちにさせてくれて、嬉しいです。
そうね、私もそういう生き方しかできなかったんだって思います。
そちらに返事しましたよ。
Commented
by
kanafr at 2011-05-26 09:39
yumiyaneさん 今晩は
子供にとって、母親って永遠の存在なんですね。
私も母のようになりたくないって、ずっと思っていたんです。
でもやっぱりどこかで反発しながら理解し納得していた部分もあったなあって気づきました。
母からの大きな宿題を今日もクリアもしないまま、過ごしてしまいました。いつか母に私もちゃんと一生懸命生きたよって言えるようになりたいって思うんですけれどね。
子供にとって、母親って永遠の存在なんですね。
私も母のようになりたくないって、ずっと思っていたんです。
でもやっぱりどこかで反発しながら理解し納得していた部分もあったなあって気づきました。
母からの大きな宿題を今日もクリアもしないまま、過ごしてしまいました。いつか母に私もちゃんと一生懸命生きたよって言えるようになりたいって思うんですけれどね。
Commented
by
hisako-baaba at 2011-05-28 23:30
良いお話ですね。良いお母様。
最後の教えが「身を美しく」ですかステキ。最期まで介護なさったkanaさんもステキ。
叔母様の豪快さと、お母様のきっちりさを、両方習えてよかったですね。
↓ 息子さんの作品、幼児のものとは思えない素晴らしさですね。こめられたお話しがまた凄い。ちゃんとご両親の背中を見ておられますよ。
最後の教えが「身を美しく」ですかステキ。最期まで介護なさったkanaさんもステキ。
叔母様の豪快さと、お母様のきっちりさを、両方習えてよかったですね。
↓ 息子さんの作品、幼児のものとは思えない素晴らしさですね。こめられたお話しがまた凄い。ちゃんとご両親の背中を見ておられますよ。
Commented
by
kanafr at 2011-05-29 06:25
hisakoさん 今晩は
私の書き方が中途半端だったので、誤解されてしまいましたね。スミマセン。母を最期まで介護できなかったんです。
母のフランス生活はたった1年でした。
その1年は№2に大きなものを残してくれましたけれど、私の体調が悪化して結局手術する事になって母の面倒を見れなくなり、結局は病院にいれてしまったんです。
№2の幼稚園での作品お褒めいただいて有難うございます。
幼児って大人がビックリするような感性を持っていますよね。
その後の№2の絵や作文に関する苦手意識を見ますと、これが最初で最後の作品だったのかな?って気もします。
私の書き方が中途半端だったので、誤解されてしまいましたね。スミマセン。母を最期まで介護できなかったんです。
母のフランス生活はたった1年でした。
その1年は№2に大きなものを残してくれましたけれど、私の体調が悪化して結局手術する事になって母の面倒を見れなくなり、結局は病院にいれてしまったんです。
№2の幼稚園での作品お褒めいただいて有難うございます。
幼児って大人がビックリするような感性を持っていますよね。
その後の№2の絵や作文に関する苦手意識を見ますと、これが最初で最後の作品だったのかな?って気もします。
Commented
by
pikeflower at 2012-09-07 11:37
いきなり、一年以上前の日記にコメントしてしまいました。
花のある写真をクリックしながら、拝見させていただいたところ、この日記を読みました。
今回、コメント長くなりすぎたようなので2つに分けて投稿させてくださいね。
ちょうど、今わたしも昨年痴呆と診断された母とだんだん体が動けなくなった父、結婚していない病気がちの妹を見ながらの、家族にとっては激動だったここ1~2年を振り返って、
kanaさんが痴呆のお母さまを抱きしめて泣いたところで、自分にダブらせていつまでも涙がこぼれました。
人生でもっとも縁の深い人々を介護し、亡くすときはどなたにも訪れます。
大事なのは、その介護を完璧にして後悔しないことではないと思います。だれにも事情があり、その中でできる範囲のことを必死にするしかないからです。
花のある写真をクリックしながら、拝見させていただいたところ、この日記を読みました。
今回、コメント長くなりすぎたようなので2つに分けて投稿させてくださいね。
ちょうど、今わたしも昨年痴呆と診断された母とだんだん体が動けなくなった父、結婚していない病気がちの妹を見ながらの、家族にとっては激動だったここ1~2年を振り返って、
kanaさんが痴呆のお母さまを抱きしめて泣いたところで、自分にダブらせていつまでも涙がこぼれました。
人生でもっとも縁の深い人々を介護し、亡くすときはどなたにも訪れます。
大事なのは、その介護を完璧にして後悔しないことではないと思います。だれにも事情があり、その中でできる範囲のことを必死にするしかないからです。
Commented
by
pikeflower at 2012-09-07 11:38
だから大事なのは、これまでの親を許しそれまでの自分も許し、ありのままを受け入れる事だと思います。
良いことも悪いこともすべて。
そうすることで親と関わった人生のすべてが穏やかにながれるのだと思います。
わたしは、これからが介護の山場になっていくと思いますが、もし、まだkanaさんがご自分をお母さまの介護のことで母を死なせたのは自分だと、責めていらっしゃるとしたら、それは違うと申し上げたかったのです。
お母さまはきっとkanaさまのお近くにいらして、すべてを見通して、穏やかに見守っていらっしゃると思います。
愛してやまなかった娘ですもの。
ご自分を許してあげてくださいね。
kanaさんの前の日記を読んで思わず涙を流したことで、ここ一年以上だれにも言わずこらえていたモノが流れて、気持ちが少し浄化されたような気がしました。
タイムリーにいい日記を読ませていただいて、ありがとうございました。
長々と失礼しました。
良いことも悪いこともすべて。
そうすることで親と関わった人生のすべてが穏やかにながれるのだと思います。
わたしは、これからが介護の山場になっていくと思いますが、もし、まだkanaさんがご自分をお母さまの介護のことで母を死なせたのは自分だと、責めていらっしゃるとしたら、それは違うと申し上げたかったのです。
お母さまはきっとkanaさまのお近くにいらして、すべてを見通して、穏やかに見守っていらっしゃると思います。
愛してやまなかった娘ですもの。
ご自分を許してあげてくださいね。
kanaさんの前の日記を読んで思わず涙を流したことで、ここ一年以上だれにも言わずこらえていたモノが流れて、気持ちが少し浄化されたような気がしました。
タイムリーにいい日記を読ませていただいて、ありがとうございました。
長々と失礼しました。
Commented
by
kanafr at 2012-11-12 08:01
pikeflowerさん 今晩は
この記事にコメントしてくださっていたんですね。
長い間、気づかずごめんなさい。
今日ちょっと母の事で思い出す事があったので、反省も兼ねて読み返して初めてこんな風に心を込めてコメントしてくださっていた事に気づきました。
pikeflowerさんも、今、大変な日々をお過ごしなんですね。
私もあの時は、あまりにも自分の体調が悪くて、母を引きとる時に覚悟した事が無残にも崩れていく自分が情けなくって、腹が立ってしまって..。
又、母のそんな日の事を書く日があると思いますが、今思えば介護の大変さよりも、母はやはり母であったなあ、最後まで私の事を心配していた事だけが残ります。
辛い時は思い切り泣いた方がいいんですよ。
そうしたら、又元気がでますもの。
この記事にコメントしてくださっていたんですね。
長い間、気づかずごめんなさい。
今日ちょっと母の事で思い出す事があったので、反省も兼ねて読み返して初めてこんな風に心を込めてコメントしてくださっていた事に気づきました。
pikeflowerさんも、今、大変な日々をお過ごしなんですね。
私もあの時は、あまりにも自分の体調が悪くて、母を引きとる時に覚悟した事が無残にも崩れていく自分が情けなくって、腹が立ってしまって..。
又、母のそんな日の事を書く日があると思いますが、今思えば介護の大変さよりも、母はやはり母であったなあ、最後まで私の事を心配していた事だけが残ります。
辛い時は思い切り泣いた方がいいんですよ。
そうしたら、又元気がでますもの。
Commented
at 2012-11-22 10:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
kanafr at 2012-11-24 09:17
11-22 10;52の鍵コメさん 今晩は
この古い記事を読んでくださったんですね。有難うございます。
ブログって凄いなあって思います。
私と、私の記事を読んでコメをくださる方だけの会話で終わっていませんものね。
ご本人様に鍵コメさんのお気持ちを伝えたい位ですよ。
この古い記事を読んでくださったんですね。有難うございます。
ブログって凄いなあって思います。
私と、私の記事を読んでコメをくださる方だけの会話で終わっていませんものね。
ご本人様に鍵コメさんのお気持ちを伝えたい位ですよ。