2013年 02月 21日
ふと思い出したあの日の事
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全国的に2月12日に終わった冬のソルドですが、今年に入るまで暖かい冬が続き、考えてみれば「すっごく寒い!」という日も僅かだったせいか、冬物の在庫がかなり残ったらしい。
某有名ブランドに勤務する友人曰く「今年の2月は、ここ数年では見られなかった 位の最低の売り上げ」だそう。
そう言ってもねぇ…
ここ数年だけを見たって、5~6人よれば誰かが「失業中」っていうのも珍しくなくもし現在働いているとしても「3ヶ月~1年の期限付き雇用」という人はかなり多いんじゃないかしら?
さらに例年なら、売れ残った冬物は、今年の秋か冬のソルド時に“いきなりの50% オフ商品!”で再デビューする迄、段ボールの中で静かにお休みいただくのに、今年はそんな甘い事は言ってられないらしい。
昨日、退職する友人へのプレゼントを買いに出かけ、ついでにメンバーズカードの 更新をしに寄った先で見つけたソルド札。
“エッ!?もう、ソルドは終わったんじゃないの?”と思い、ジックリ周りを見たら、明るく華やかな春物の影で「petit prix=少額商品」の看板に守られて、こっそり秋冬物が並んでいました。
もしかして、こんな事初めてかも…。
あらためて感じるフランスの不景気でございますね。
「去年まで1€=100円前後だったのに、今や130円前後だものねぇ。観光客にとってはお買い得感ないわよねぇ」と、日銀の金融政策を嘆く友人もいました。
でも、そう言っても、買い物が目的の人は、“買いたい時が買う時 ~”で買うでしょ。
多分、€が200円近くになるまでは、まだまだお得感はあるでしょ。
「あぁ~、こんなに不景気じゃ、今年も、昇給は望めないかも..ねぇ」と嘆く友人もいました。
でも、仕事があるだけましでしょ。
そんな事より、怖いのはテロでしょ。
今年1月16日に起きたアルジェリア誘拐殺害テロ事件。
勿論、この事件の背景に、オランド大統領が決定したフランス軍によるマリへの軍事介入があると知った時、もしかして....と思ったのは私だけじゃない。
フランス滞在18年以上の人なら、みんな知っているミッテラン政権時代に起きた 何時どこで起きるか分からないあの爆弾テロの恐怖に震えた日々。
1995年、パリ高速地下鉄(RER)B線 サン・ミッシェル駅に停車中の列車で起きた爆弾テロ事件の後、メトロに乗るたびに、誰もが異常にピリピリしていました。
大きな荷物を持っている人は、それだけで警戒され、もし、持っている荷物を膝の上ではなく座席の下に置けば、さらに周囲から何気なさを装った視線で、どこの国の人か、そして性別だけでなく髪の色、目の色、身長などを明らかにチェックされているのを感じたものです。
勿論、その無言の監視は、その荷物を持って電車から降りるまで続く訳です。
当時のメトロ構内では、メトロに乗る前に流れるスリやひったくりの警告アナウンス同様“不審物を持った人に注意しましょう”のアナウンスが常に流れていました。
そして、モンパルナスのフナックの前の路上のごみ箱に投げ捨てられた爆弾テロが 起きた後は、人が集まるデパートやイヴェント会場やモールなどでは、必ず入口で 荷物チェックや身体検査が行われるようになり、当時パリ市長だったシラク元大統領の号令の元、たった1日でメトロやパリ市内に点在する全ての金属製のゴミ箱に蓋がされ、中身の見えるビニールの袋を下げるゴミ箱になりました。
普段は、一体何でこんなに仕事が遅いの?と思わせるフランス人ですが、あの時の 素早さは今でも在仏者達の間で語り草になる位、見事な仕事ぶりでした。
あのような何日もメディアで騒がれるような爆弾テロ事件は、あの時だけかもしれ ませんが、その後も大きく報道されないだけで、爆弾事件が決してなくなっていないのは、18年経った今でも、路上で使用され続けているビニール袋を下げたあのゴミ箱が証明していますが。
実際のところ、、どこどこで爆弾があって爆弾処理班が来て処理するまで道路閉鎖 なんて事は、今でも結構ありますものね。
あの当時、日本人の私達に対しては、そういう眼付をしなかった人達も、ある人種の人達に対しては、常に疑心暗鬼に満ちた目で見ていました。
そして、テロ集団とは全く関係ないのにも関わらず、人種差別を受けたり、一方的な疑いをかけられたりして、人間関係も仕事もうまくいかなくなってしまった人達も、そこにはかなりいたそうです。
こんな風にテロによって、直接的被害にあった人は勿論の事、間接的な被害を受けた人の中にも、身体だけじゃなく心にも大きなダメージを受け、その後の人生が全く 変わってしまった人も、かなりいます。
フランス人のご主人から解説受けたニュースとして、Iさんが我々に教えてくれた事によると、今回のアルジェリア誘拐殺害テロが起きる前、私が湾岸戦争の演説以来、尊敬しているド・ビルパン元首相が、オランド大統領のマリへの軍事介入決定に対し “それは、フランスが行うものではない”と批判したそうです。
このような戦争を引き起こす事で、テロリスト達にとって戦う事を正当化する理由を与えることになると主張し、フランスはアフガニスタン、イラクやリビアなどの戦争が失敗してきた教訓を学ぶべきであり、軍事的介入より政治的交渉しかマリの平和は得られないと言ったらしい。
戦争は国家の承認を得た暴力だと思いますが、暴力を受けたものは、身体だけでなく心に大きな傷を残します。
戦争を知らない世代に生まれ、毎日を恐怖に震えながら生きたり、時には、何よりも大事な人の命が、食べ物よりも軽い存在になり、人の心の中の見たくないもの迄見てしまうような悲惨さは、画像でしか知りません。
でも、例え平和ボケしていると言われても、武器を持って戦う事を正当化する時代...
そんな時代は来てほしくないと思うのです。
某有名ブランドに勤務する友人曰く「今年の2月は、ここ数年では見られなかった 位の最低の売り上げ」だそう。
そう言ってもねぇ…
フランスに来て20数年...
“好景気に沸くフランス!”なんていう話、聞いた事ありましたっけ?
って思いましたけどね。ここ数年だけを見たって、5~6人よれば誰かが「失業中」っていうのも珍しくなくもし現在働いているとしても「3ヶ月~1年の期限付き雇用」という人はかなり多いんじゃないかしら?
さらに例年なら、売れ残った冬物は、今年の秋か冬のソルド時に“いきなりの50% オフ商品!”で再デビューする迄、段ボールの中で静かにお休みいただくのに、今年はそんな甘い事は言ってられないらしい。
昨日、退職する友人へのプレゼントを買いに出かけ、ついでにメンバーズカードの 更新をしに寄った先で見つけたソルド札。
“エッ!?もう、ソルドは終わったんじゃないの?”と思い、ジックリ周りを見たら、明るく華やかな春物の影で「petit prix=少額商品」の看板に守られて、こっそり秋冬物が並んでいました。
もしかして、こんな事初めてかも…。
あらためて感じるフランスの不景気でございますね。
「去年まで1€=100円前後だったのに、今や130円前後だものねぇ。観光客にとってはお買い得感ないわよねぇ」と、日銀の金融政策を嘆く友人もいました。
でも、そう言っても、買い物が目的の人は、“買いたい時が買う時 ~”で買うでしょ。
多分、€が200円近くになるまでは、まだまだお得感はあるでしょ。
「あぁ~、こんなに不景気じゃ、今年も、昇給は望めないかも..ねぇ」と嘆く友人もいました。
でも、仕事があるだけましでしょ。
そんな事より、怖いのはテロでしょ。
今年1月16日に起きたアルジェリア誘拐殺害テロ事件。
勿論、この事件の背景に、オランド大統領が決定したフランス軍によるマリへの軍事介入があると知った時、もしかして....と思ったのは私だけじゃない。
フランス滞在18年以上の人なら、みんな知っているミッテラン政権時代に起きた 何時どこで起きるか分からないあの爆弾テロの恐怖に震えた日々。
1995年、パリ高速地下鉄(RER)B線 サン・ミッシェル駅に停車中の列車で起きた爆弾テロ事件の後、メトロに乗るたびに、誰もが異常にピリピリしていました。
大きな荷物を持っている人は、それだけで警戒され、もし、持っている荷物を膝の上ではなく座席の下に置けば、さらに周囲から何気なさを装った視線で、どこの国の人か、そして性別だけでなく髪の色、目の色、身長などを明らかにチェックされているのを感じたものです。
勿論、その無言の監視は、その荷物を持って電車から降りるまで続く訳です。
当時のメトロ構内では、メトロに乗る前に流れるスリやひったくりの警告アナウンス同様“不審物を持った人に注意しましょう”のアナウンスが常に流れていました。
そして、モンパルナスのフナックの前の路上のごみ箱に投げ捨てられた爆弾テロが 起きた後は、人が集まるデパートやイヴェント会場やモールなどでは、必ず入口で 荷物チェックや身体検査が行われるようになり、当時パリ市長だったシラク元大統領の号令の元、たった1日でメトロやパリ市内に点在する全ての金属製のゴミ箱に蓋がされ、中身の見えるビニールの袋を下げるゴミ箱になりました。
普段は、一体何でこんなに仕事が遅いの?と思わせるフランス人ですが、あの時の 素早さは今でも在仏者達の間で語り草になる位、見事な仕事ぶりでした。
あのような何日もメディアで騒がれるような爆弾テロ事件は、あの時だけかもしれ ませんが、その後も大きく報道されないだけで、爆弾事件が決してなくなっていないのは、18年経った今でも、路上で使用され続けているビニール袋を下げたあのゴミ箱が証明していますが。
実際のところ、、どこどこで爆弾があって爆弾処理班が来て処理するまで道路閉鎖 なんて事は、今でも結構ありますものね。
あの当時、日本人の私達に対しては、そういう眼付をしなかった人達も、ある人種の人達に対しては、常に疑心暗鬼に満ちた目で見ていました。
そして、テロ集団とは全く関係ないのにも関わらず、人種差別を受けたり、一方的な疑いをかけられたりして、人間関係も仕事もうまくいかなくなってしまった人達も、そこにはかなりいたそうです。
滞在年数が長いIさんと「あの時は、怖かったよねぇ」と話していたら、滞在年数は 私達より短いWさんが会話に加わり、貴重な話をしてくれました。
「私のアパートの大家さんの娘さんの婚約者の方が、モンパルナスの事件の被害者
だったのよ。でもネ、フランス人じゃなかったから補償は何にもなかったんだって..」
こんな風にテロによって、直接的被害にあった人は勿論の事、間接的な被害を受けた人の中にも、身体だけじゃなく心にも大きなダメージを受け、その後の人生が全く 変わってしまった人も、かなりいます。
フランス人のご主人から解説受けたニュースとして、Iさんが我々に教えてくれた事によると、今回のアルジェリア誘拐殺害テロが起きる前、私が湾岸戦争の演説以来、尊敬しているド・ビルパン元首相が、オランド大統領のマリへの軍事介入決定に対し “それは、フランスが行うものではない”と批判したそうです。
このような戦争を引き起こす事で、テロリスト達にとって戦う事を正当化する理由を与えることになると主張し、フランスはアフガニスタン、イラクやリビアなどの戦争が失敗してきた教訓を学ぶべきであり、軍事的介入より政治的交渉しかマリの平和は得られないと言ったらしい。
戦争は国家の承認を得た暴力だと思いますが、暴力を受けたものは、身体だけでなく心に大きな傷を残します。
戦争を知らない世代に生まれ、毎日を恐怖に震えながら生きたり、時には、何よりも大事な人の命が、食べ物よりも軽い存在になり、人の心の中の見たくないもの迄見てしまうような悲惨さは、画像でしか知りません。
でも、例え平和ボケしていると言われても、武器を持って戦う事を正当化する時代...
そんな時代は来てほしくないと思うのです。
by kanafr
| 2013-02-21 08:03
| フランスの出来事
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Comments(14)
Ciao kanafrさん
私、その1995年のテロの時ちょうどパリにいました
モンマルトルのアパートに住んでました
あの頃は、まだテロって云う言葉が耳慣れて無くて、すごく不気味に響いたのを覚えてます
最近のECの動き方には、私も全く理解できず
なんか皆トチ狂って我をさらに失ってる感じ
イタリアの不景気も凄いですよ
一日二人の割合で自殺者が出ています
当然ニュースには流れません
小さいながらも、会社を持って一生懸命やってきた人が、
にっちもさっちもいかなくなって、自らの命を断つ
ずっしり鉛を飲み込んだように、気持ちが重くなります
来週こっちは選挙なんだけどね
相変わらずの、決して守られないであろうマニフェストを叫び
なりふり構わず互いの足を引っ張り合う彼らに吐き気です
私、その1995年のテロの時ちょうどパリにいました
モンマルトルのアパートに住んでました
あの頃は、まだテロって云う言葉が耳慣れて無くて、すごく不気味に響いたのを覚えてます
最近のECの動き方には、私も全く理解できず
なんか皆トチ狂って我をさらに失ってる感じ
イタリアの不景気も凄いですよ
一日二人の割合で自殺者が出ています
当然ニュースには流れません
小さいながらも、会社を持って一生懸命やってきた人が、
にっちもさっちもいかなくなって、自らの命を断つ
ずっしり鉛を飲み込んだように、気持ちが重くなります
来週こっちは選挙なんだけどね
相変わらずの、決して守られないであろうマニフェストを叫び
なりふり構わず互いの足を引っ張り合う彼らに吐き気です
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kimanba at 2013-02-21 09:15
フランスのやり方にパチパチパチパチです♪
>普段は一体何でこんなに仕事が遅いの?と思わせるフランス人ですが、
あの時の素早さは今でも在仏者達の間で語り草になる位見事な仕事ぶりでした
これです♪ここ一番!危ない時には素早い対応。これが一番だと思えます。
日本の場合は・・・
普段は仕事が早いけど いざ!危機管理という場面での仕事の遅さ
と言うか『決定の遅さ』・・これをいつも感じます。
上に通さねばならないとかみんなのハンコを取る手続きに時間が掛かってとか
その手続き自体も「みんなはどうするんだろうか?」
責任取りたくないから周囲を見る
自分の意見の前に他との調和を考えたり で「何しとるん?!」の遅さ~怒
ただ>フランス人じゃなかったから補償は何にもなかった
これはいただけませんね。。。
日本も外国の方々に対しての原爆の被害者支援での大きな差が問題になりました。
>普段は一体何でこんなに仕事が遅いの?と思わせるフランス人ですが、
あの時の素早さは今でも在仏者達の間で語り草になる位見事な仕事ぶりでした
これです♪ここ一番!危ない時には素早い対応。これが一番だと思えます。
日本の場合は・・・
普段は仕事が早いけど いざ!危機管理という場面での仕事の遅さ
と言うか『決定の遅さ』・・これをいつも感じます。
上に通さねばならないとかみんなのハンコを取る手続きに時間が掛かってとか
その手続き自体も「みんなはどうするんだろうか?」
責任取りたくないから周囲を見る
自分の意見の前に他との調和を考えたり で「何しとるん?!」の遅さ~怒
ただ>フランス人じゃなかったから補償は何にもなかった
これはいただけませんね。。。
日本も外国の方々に対しての原爆の被害者支援での大きな差が問題になりました。
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kimanba at 2013-02-21 09:15
kanafrさんが尊敬していらっしゃるド・ビルパン元首相の発言に賛成です。
こうした毅然たる立場で見解を述べて欲しい。
日本の場合はいつも「原爆の被災国として」の一文が加わる事が残念です。
微妙な表現で誤解されるかも知れませんが旨く言えませんが
ダメなものはダメなんです!・・・大河の今回の言葉は好きです。
こうした毅然たる立場で見解を述べて欲しい。
日本の場合はいつも「原爆の被災国として」の一文が加わる事が残念です。
微妙な表現で誤解されるかも知れませんが旨く言えませんが
ダメなものはダメなんです!・・・大河の今回の言葉は好きです。
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whitelacenonyo at 2013-02-22 17:24
Parisの街を歩いていてゴミ箱が透けて見えていることに
どうして?って思っていました。
こういったいきさつがあったのですね。
危険を察知して仕事が速いのはすごいことですね。
原発は危険だとあの福島で嫌という程思い知っても
いまだにあ〜でもない、こ〜でもないと言っている我が国はどうなっているのかしら、、
アルジェリアの日本人人質死亡のNHK特集を観ていて歯がゆい思いをしたのは私だけではないとおもいます。
殺された人たちはどんなに怖く,無念だったことでしょう。
どうして?って思っていました。
こういったいきさつがあったのですね。
危険を察知して仕事が速いのはすごいことですね。
原発は危険だとあの福島で嫌という程思い知っても
いまだにあ〜でもない、こ〜でもないと言っている我が国はどうなっているのかしら、、
アルジェリアの日本人人質死亡のNHK特集を観ていて歯がゆい思いをしたのは私だけではないとおもいます。
殺された人たちはどんなに怖く,無念だったことでしょう。
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kanafr at 2013-02-25 01:21
junkoさん 今日は
あぁ、junkoさんは、あの時の事をご存知なのね。
あの頃は、人が集まる所は危険が一杯っていう感じでしたよね。
しかもショッピングするような場所は勿論の事、駅や役所や郵便局も対象になっていましたものね。
EU社会は、やはり単なる理想だったんだなあと思わざるを得ません。
力のあるものがないものを引っ張り上げ、全てが幸せになるのではなく、
力のないものが、あるものを引っ張り結局全員が苦しくなっている今、一体これからどうなるのだろうと思いますね。
あぁ、junkoさんは、あの時の事をご存知なのね。
あの頃は、人が集まる所は危険が一杯っていう感じでしたよね。
しかもショッピングするような場所は勿論の事、駅や役所や郵便局も対象になっていましたものね。
EU社会は、やはり単なる理想だったんだなあと思わざるを得ません。
力のあるものがないものを引っ張り上げ、全てが幸せになるのではなく、
力のないものが、あるものを引っ張り結局全員が苦しくなっている今、一体これからどうなるのだろうと思いますね。
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kanafr at 2013-02-25 01:38
kimanbaさん 今日は
危ない時に素早く対応できる...これが日本でできないのは、日本が大統領制じゃないからだと思います。
大統領制の怖さは、それなりにありますが、もしあまりにもおかしいんじゃないかって思ったら、フランスの場合皆がデモしますものね。
デモは国民の権利だから、当然おかしいと思った事に抗議するのは、国民だけじゃありません。
以前、ネオナチのグループがユダヤ人のお墓を壊した時、ミッテラン大統領がデモの先頭に立ちましたもの。
日本の場合、代議士がデモに参加したという話はあるようですが、何だか選挙の為に...という人が多い気がしてならないのよねぇ。
勘ぐりすぎかしらね。
危ない時に素早く対応できる...これが日本でできないのは、日本が大統領制じゃないからだと思います。
大統領制の怖さは、それなりにありますが、もしあまりにもおかしいんじゃないかって思ったら、フランスの場合皆がデモしますものね。
デモは国民の権利だから、当然おかしいと思った事に抗議するのは、国民だけじゃありません。
以前、ネオナチのグループがユダヤ人のお墓を壊した時、ミッテラン大統領がデモの先頭に立ちましたもの。
日本の場合、代議士がデモに参加したという話はあるようですが、何だか選挙の為に...という人が多い気がしてならないのよねぇ。
勘ぐりすぎかしらね。
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kanafr at 2013-02-25 02:01
kimanbaさん 2度目の今日は
結果日本も参加した湾岸戦争の時に、あの国連でしたド・ヴィルパンの演説に私はもうノックアウトされちゃったんですよ。
以前も書いた事がありましたが、私はこの人が大統領になってほしかったんですよ。
今回も、オランドはフランスの軍事介入はマリ政府の要請を受けたからというのが理由でしたが、その事に対しても「フランスが軍事介入をした時には、すでにマリ政府は国家の機能が崩壊されているのに、フランスは一体誰を支援するのか」と言ったそうです。そして「この戦争に介入する事によって平和がもたらされる事になると思うのは間違いであり、こういう西欧の介入がかえって平和への責任を捨てる事になる」と言ったそうなの。
ダメなものはダメ...本当にそうですよね。
結果日本も参加した湾岸戦争の時に、あの国連でしたド・ヴィルパンの演説に私はもうノックアウトされちゃったんですよ。
以前も書いた事がありましたが、私はこの人が大統領になってほしかったんですよ。
今回も、オランドはフランスの軍事介入はマリ政府の要請を受けたからというのが理由でしたが、その事に対しても「フランスが軍事介入をした時には、すでにマリ政府は国家の機能が崩壊されているのに、フランスは一体誰を支援するのか」と言ったそうです。そして「この戦争に介入する事によって平和がもたらされる事になると思うのは間違いであり、こういう西欧の介入がかえって平和への責任を捨てる事になる」と言ったそうなの。
ダメなものはダメ...本当にそうですよね。
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kanafr at 2013-02-25 02:24
whitelacenonyoさん 今日は
パリの街の中のあのビニールのゴミ箱は、あまりキレイな感じはしませんよね。
それでもね、私の見る限りですが、透明のビニール袋ですが、ビニール袋を挟むメタルの枠はちゃんとビニール袋の色とコーデュネートされている感じがします。例えば、黄色のメタルには黄色のビニールや透明なビニールとかが使用されています。
合っていないなあと思ったものは、まだお目にかかっていません。
例え使い捨てのビニールのゴミ袋だったとしても、景観を損なわないように気を使っているんだなと感心しています。
アルジェリアの邦人人質殺害のニュースに関しては、残念な事に、あまりフランスではニュースにはなりませんでした。
ちょうどその頃、色々な国内の問題があった時期だったということもありますが..。
パリの街の中のあのビニールのゴミ箱は、あまりキレイな感じはしませんよね。
それでもね、私の見る限りですが、透明のビニール袋ですが、ビニール袋を挟むメタルの枠はちゃんとビニール袋の色とコーデュネートされている感じがします。例えば、黄色のメタルには黄色のビニールや透明なビニールとかが使用されています。
合っていないなあと思ったものは、まだお目にかかっていません。
例え使い捨てのビニールのゴミ袋だったとしても、景観を損なわないように気を使っているんだなと感心しています。
アルジェリアの邦人人質殺害のニュースに関しては、残念な事に、あまりフランスではニュースにはなりませんでした。
ちょうどその頃、色々な国内の問題があった時期だったということもありますが..。
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uransuzu at 2013-02-25 11:37
>シラク元大統領の号令の元、たった1日でメトロやパリ市内に点在する全ての金属製のゴミ箱に蓋がされ、中身の見えるビニールの袋を下げるゴミ箱になりました。
ここにびっくり!
やればできるのね、1日で全部なんて!^^
写真で見る限りでは、(匂いもしないし~)、オシャレにも見えます。
もちろん、燃やしても有害じゃないビニールでしょ?
カラスによる被害はパリにはないのですか?
ここにびっくり!
やればできるのね、1日で全部なんて!^^
写真で見る限りでは、(匂いもしないし~)、オシャレにも見えます。
もちろん、燃やしても有害じゃないビニールでしょ?
カラスによる被害はパリにはないのですか?
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shinn-lily at 2013-02-25 11:54
ときどきテロリストを警戒する今の時代は第3次大戦なのではないかと思うことがあります。
今86歳の母が海外旅行をしていた頃は東西の冷戦はあったものの
まだまだ平和でイスラエルにも普通にいけました。
その後ハイジャックで警戒が強化され、
今飛行機に乗る時の警戒の仕方はハイジャックを超えて爆破をターゲットにしているように思えます。
シリアにも行きたいと思っていたのに、今や遺跡は壊され、人々が生活していくのも大変な状況。
一部の人が富を求めて、富を独り占めにしたこと、たぶんそれは東アジアの人々、北アフリカの人々ではない。
かつて訪れたチュニジアのニュース映像を見るたびに、あの美しい街なみにきちんとした政権が樹立し、平和が訪れることを願っています。
今86歳の母が海外旅行をしていた頃は東西の冷戦はあったものの
まだまだ平和でイスラエルにも普通にいけました。
その後ハイジャックで警戒が強化され、
今飛行機に乗る時の警戒の仕方はハイジャックを超えて爆破をターゲットにしているように思えます。
シリアにも行きたいと思っていたのに、今や遺跡は壊され、人々が生活していくのも大変な状況。
一部の人が富を求めて、富を独り占めにしたこと、たぶんそれは東アジアの人々、北アフリカの人々ではない。
かつて訪れたチュニジアのニュース映像を見るたびに、あの美しい街なみにきちんとした政権が樹立し、平和が訪れることを願っています。
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at 2013-02-25 16:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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kanafr at 2013-02-26 09:38
uransuzuさん 今晩は
最近は少しましになりましたが、当時はアポを取っても時間通りにはなかなか来てもらえない、おしゃべりしたら手が止まるの仏人という印象しかなかったんですけどね、あの時は本当に感心しました。
っていうかそれほど「今そこのある危機!」で非常に危ないフランスだったっていう事なんですけどね。
ビニールの袋は、メタル枠に合わせたカラ―バージョンがあるみたいで、なかなかそこはお洒落心を忘れていないなあと思っています。
カラス...はあまり見ないですね。どうしてなんでしょう?
カラスよりハトぽっぽが沢山いて、これ又怖いです。
最近は少しましになりましたが、当時はアポを取っても時間通りにはなかなか来てもらえない、おしゃべりしたら手が止まるの仏人という印象しかなかったんですけどね、あの時は本当に感心しました。
っていうかそれほど「今そこのある危機!」で非常に危ないフランスだったっていう事なんですけどね。
ビニールの袋は、メタル枠に合わせたカラ―バージョンがあるみたいで、なかなかそこはお洒落心を忘れていないなあと思っています。
カラス...はあまり見ないですね。どうしてなんでしょう?
カラスよりハトぽっぽが沢山いて、これ又怖いです。
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kanafr at 2013-02-26 09:56
shinn-lilyさん 今晩は
時々テロリストという括りに疑問を感じる時があるんです。
確かに彼らはこちら側から見たらテロ行為に走る殺人集団になっており無差別に殺すという行為は正しいとは思わないのですが、彼らにも守るべきものがあって、国家を持たない、又はその国家が国家という形をとらず傀儡政権である場合、あのような力で闘うという手段を選ばざるを得ないんじゃないかとも思うんです。
そして今やそこに宗教が混ざり余計複雑になってきていますよね。
でもネ、それでも、力ではなく言葉で闘う事をして欲しいなあと思います。
大人が言葉で闘う事をせず力で闘う事を正義としたら、子供達の心や夢や未来を奪う事を謝りもせず、その子供達に勝つ事が正しい事という風に教育していく事にならないだろうかと思ってしまうんですよね。
時々テロリストという括りに疑問を感じる時があるんです。
確かに彼らはこちら側から見たらテロ行為に走る殺人集団になっており無差別に殺すという行為は正しいとは思わないのですが、彼らにも守るべきものがあって、国家を持たない、又はその国家が国家という形をとらず傀儡政権である場合、あのような力で闘うという手段を選ばざるを得ないんじゃないかとも思うんです。
そして今やそこに宗教が混ざり余計複雑になってきていますよね。
でもネ、それでも、力ではなく言葉で闘う事をして欲しいなあと思います。
大人が言葉で闘う事をせず力で闘う事を正義としたら、子供達の心や夢や未来を奪う事を謝りもせず、その子供達に勝つ事が正しい事という風に教育していく事にならないだろうかと思ってしまうんですよね。
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kanafr at 2013-02-26 10:01
02-25 16;52の鍵コメさん 初めまして
ご訪問いただき、又ご丁寧なご挨拶をいただき有難うございました。
私の方こそ、いつも感心しながら読ませていただいていたんですよ。
そして、今回はそんな気持ちを抑えきれずつい...でした。
もしよろしかったら、またいつでもいらして下さいませ。
これからもよろしくお願い致します。
ご訪問いただき、又ご丁寧なご挨拶をいただき有難うございました。
私の方こそ、いつも感心しながら読ませていただいていたんですよ。
そして、今回はそんな気持ちを抑えきれずつい...でした。
もしよろしかったら、またいつでもいらして下さいませ。
これからもよろしくお願い致します。