2018年 07月 16日
20年前を思い出しながら...
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例年、夏のイヴェントと言えば、le Quatorze Juillet(ラ・キャトルズ・ジュイエ)、
つまり7月14日の革命記念日ですが、今年は、ちょっと違う。
E子さんと、いつものように楽しいお喋りの数時間を過ごしてお別れし、電車を乗り継いで凱旋門のある駅に着いたら、続々と降りるトリコロールカラーのラインを頬に塗ったり、旗を持ったり、羽織ったりする人達。
もし、この試合に勝てば、20年ぶりの優勝です。
1998年の時に、ジダンと共に活躍したキャプテンデションが、監督になっている今回のチーム。
いい選手が育ってきている事もあり、今回は今までにない盛り上がりです。
今回は、全国230ヶ所に大画面のTVが設置されたファンゾーンが設けられたらしくパリでは、エッフェル塔前のシャン・ド・マルスでした。
(TVから画像お借りしました)
試合終了の後も、大騒ぎの人達。
(TVから画像お借りしました)
そんな人達で盛り上がる凱旋門の様子を見て、20年前の優勝した年の事を、ふと思い出しました。
あの年の前年、オットは、日本のある会社の現地責任者になり、毎日忙しくしていた年でした。
ヘッドハンティングの話が来た時、その会社の社長と顔合わせを兼ねての食事に夫婦共々お誘いをいただきましたが、これからの責任の重さも、だからこそ、やりがいがある仕事として喜ぶオットと違い、ニコニコ笑っている社長に、どういう訳かお目にかかった瞬間、嫌なものを感じてしまった私。
(TVから画像お借りしました)
つまり7月14日の革命記念日ですが、今年は、ちょっと違う。
日本が招待国になって、自衛隊が参加したパレードあり、エッフェル塔の花火ありの革命記念日でしたが、今年は、そんな革命記念日より、人々の関心は、何と言っても翌日のワールドカップの決勝戦。
この日は、かつて出向先で仲良くなった若いE子さんからお誘いをいただきでかけ
ましたが、パリに入ったら、朝からこんなトリコロールの旗を持った人達が、あちらこちらに...熱いわあ。
さらに、次の駅に着いた途端、「ワァーーー!!!」と言う大歓声。
試合開始を告げる大歓声でした。もし、この試合に勝てば、20年ぶりの優勝です。
1998年の時に、ジダンと共に活躍したキャプテンデションが、監督になっている今回のチーム。
いい選手が育ってきている事もあり、今回は今までにない盛り上がりです。
今回は、全国230ヶ所に大画面のTVが設置されたファンゾーンが設けられたらしくパリでは、エッフェル塔前のシャン・ド・マルスでした。
勿論、ベルギー戦の時同様、TVのあるカフェやバーなど、あっちこっちにサポーターの人達が集まっていましたけどね。
この日の為に、警官、憲兵、機動隊、消防士などの方達など、かなりの警備体制。さて、普段はフランス人と認めてもらえない移民の人達も関係なく、フランス国民が一丸となって応援していた試合の結果は、ご存じのように、4対2でフランスの優勝となりました。
試合終了の後も、大騒ぎの人達。
凱旋門前の車道も、交通止めされている事もありますが、どこが舗道か車道か分からない位、人・人・人の波。
そんな人達で盛り上がる凱旋門の様子を見て、20年前の優勝した年の事を、ふと思い出しました。
あの年の前年、オットは、日本のある会社の現地責任者になり、毎日忙しくしていた年でした。
ヘッドハンティングの話が来た時、その会社の社長と顔合わせを兼ねての食事に夫婦共々お誘いをいただきましたが、これからの責任の重さも、だからこそ、やりがいがある仕事として喜ぶオットと違い、ニコニコ笑っている社長に、どういう訳かお目にかかった瞬間、嫌なものを感じてしまった私。
仕事を開始してから、日を追うごとに何の根拠もないのに、薄氷の上に立っている
ような感覚がますます強くなっていました。
そして、迎えたジダンが活躍したあの優勝の日。
訳の分からない不安で一杯になった心に、「何があっても、前に向かって頑張ろうという気持ちが大事なんだ」と思わせてくれたあの試合でした。その後、やはり私の勘は当たり、それからの5、6年間は、経済的にも精神的にも
大変な日々を過ごす事になってしまいました。
でも、今では「そんな事もあった...」の思い出話の一つになりました。今回の決勝試合は、単に勝ち負けだけでなく、かつての私の様に辛い時を過ごして
いる人に勇気を与えてくれる意味を持つ試合かもしれない。
そんな事を思いながら、勝った喜びに沸く選手達の笑顔を見た日でした。
☆スタジオかるぺ・でぃえむの記事、更新しました
暑い夏を、気持ちだけでも涼しく過ごすには...
by kanafr
| 2018-07-16 12:49
| フランスの出来事
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