2019年 04月 17日
ノートルダム大聖堂火災の翌日は、希望へと歩み始めました
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あの火事から一夜明けた火曜日...
たまたまシャトレ迄行く用事があった事もあり、少し足を延ばしノートルダム大聖堂へ。
月曜日の夜、帰宅してからTVにかじりつきの状態でした。
あの尖塔が倒壊していく様は、本当に衝撃的な映像でした。
そして、火が鎮火した火曜日のノートルダム大聖堂には近づけないものの、少しでも今のノートルダム大聖堂の状態を心に刻みたい人で溢れていました。
ノートルダム大聖堂と言えば、多くの方が思い浮かべるバラ窓と呼ばれる3つのステンドグラス。
あまりにも、長時間に及ぶ火の手を見て、それらは、全て倒壊したと思いました。
でも、その後の話では、部分的には、ステンドグラスの接着の役割をしている鉛が 溶けた個所はあっても、消防士の方々が必死に行なった消火活動のお陰で、どうやら持ちこたえたという事です。
(画像お借りしました)
ノートルダム大聖堂の再建の為に、グッチやサンローランなどのケリングのCEOの ピノ―氏やヴィトンなどのLVMHグループのCEOアルノー氏から、すぐに多額の復興支援金が寄付されましたが、それ以外の億万長者達や一般民からも支援金が集まっており、既に7億€になっているそうです。
たまたまシャトレ迄行く用事があった事もあり、少し足を延ばしノートルダム大聖堂へ。
あの尖塔が倒壊していく様は、本当に衝撃的な映像でした。
そして、火が鎮火した火曜日のノートルダム大聖堂には近づけないものの、少しでも今のノートルダム大聖堂の状態を心に刻みたい人で溢れていました。
ノートルダム大聖堂と言えば、多くの方が思い浮かべるバラ窓と呼ばれる3つのステンドグラス。
あまりにも、長時間に及ぶ火の手を見て、それらは、全て倒壊したと思いました。
でも、その後の話では、部分的には、ステンドグラスの接着の役割をしている鉛が 溶けた個所はあっても、消防士の方々が必死に行なった消火活動のお陰で、どうやら持ちこたえたという事です。
消防士の方達が行った行動は、燃えさかる炎を鎮火させるだけでなく、大聖堂にある多くの貴重品を運びだす作業もあり、カトリックの信仰にとって、最も貴重な遺物ははりつけの際にキリストの頭に置かれたいばらの冠、受難の釘、十字架の部分だそうで、それらは勿論の事、絵画なども、安全な場所に移動することができたそうです。
ノートルダム大聖堂の再建の為に、グッチやサンローランなどのケリングのCEOの ピノ―氏やヴィトンなどのLVMHグループのCEOアルノー氏から、すぐに多額の復興支援金が寄付されましたが、それ以外の億万長者達や一般民からも支援金が集まっており、既に7億€になっているそうです。
ただ再建資金が集まったとしても、あの美しいゴシック建築は複雑な作りになって おり、それを完全に再建する事は難しいと言われていました。
でも、この再建に貢献する事になったのが、こちらのAndrew Tallon(アンドリュー・タロン)氏。 (画像お借りしました)
なんでも2013年に、このノートルダム大聖堂のプロジェクトマッピングをする為に、建物の異なる50ヶ所に最新のレザーを配置して、その最新の技術で細部にいたるまでスキャンしたそうで、そのスキャンした画像が、この再建に大きに役立つことになりました。
(画像お借りしました)
残念ながら、今回の火事だけでなく、ご自身の発明された技術が、この再建に大きな希望になった事を知ることもなく、昨年亡くなられたそうです。
この残された大聖堂の3Dによって、再建工事日程が、はやくなるかもしれませんね。
大聖堂の再建は、カトリック信者の方達だけでなく、パリのシンボルとして、人々の大きな希望でもあります。
そうした人々の心が、思いが、きっとうまくいくと感じさせてくれた日でした。☆スタジオかるぺでぃえむの記事更新しました
それ迄破棄されていくだけだったものを、再生する事をプロジェクトとして掲げた プランタンデパートをご紹介。
by kanafr
| 2019-04-17 13:17
| フランスの出来事
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