2010年 08月 30日
フランスに住み始めた頃、来年の商品提案の為に、パリコレのファッション傾向の
レポートとその傾向分析をしなくてはならず、辞書を片手に読んだフィガロの記事に衝撃を受けました。
毎年、コレクションの時期には、フィガロ新聞に毎日のファッションショーの様子が写真と共に掲載されます。
その記事には、その頃すでにパリコレのたびに新聞の紙面を大きく飾り、誰が見ても明らかに時代の波に乗っていたある有名デザイナーの事を、“何の創意工夫もない!
平凡!”と痛烈に批判していました。
日本でしたら、どんなショーを開こうと、すでに有名になっているデザイナーに対しこんな批判めいたコメントは絶対載せません。
“あそこが素晴らしい!”とか、“新しいモードが生まれた!”とかが多く、多分書いたとしても“少し精彩に欠けた感じがする”位ではないでしょうか。
有名だからと言って媚びたりせず、自分の好みで批判をしている訳でもありません。
そこには
“私達もファッション記者として日夜真剣に勉強して貴方達のショーを見に来ている。
だから、貴方達もプロならそれなりの仕事をしなさい!”
という気迫が感じられました。
こういう厳しい目があるからこそ、プロはよりプロになっていくのかもしれません。

2年前の6月に亡くなり、そしてプチパレで、この方のエキスポジションが開かれ
ました。
行こうと思いながら、ギリギリになるのはいつもの事でしたが、やっと行く時間が
とれたのは、8月の中旬。

会場には、多分こういうのは業界人しか関心がないだろうと思って行ったエキス
ポジションでしたが、会場には老若男女それこそ様々な方が来ていました。
うっとりするような数々の作品を見ているうち、日本にいた若い頃、高輪プリンスで開かれたこの方の初来日のショーに行った時の事を思い出しました。
ギリギリまで来日が噂されていましたが、すでに体調を崩し始めていた頃だったのか
ショーの終わりになって、ご本人の挨拶される声が流れました。

その静かにゆっくり話す声は、有名なデザイナーにありがちな“どうだ!これが私の
作品だ!”と周りをひれ伏させるような高飛車な感じはなく、一針、一針に自分の愛を吹き込んだ作品を“見て欲しい、愛して欲しい、着て欲しい”という気持ちが、溢れて
いました。
そして、ご本人の言葉通り、次々と美しいマヌカンによって紹介される数々の作品は単なる服ではなく、まるで命が吹き込まれたかのような素晴らしいものでした。
そして今、目の前に陳列されているサファリスタイル、スモーキングスタイルの数々そしてフォークロア、シースルーなどの服は、みんな私が通った時代のものでした。
暗い会場に、素晴らしい保存状態で並べられた作品を見ながら、どう生きていいか
分からず、自分自身をもてあましていた時もあったあの頃の自分、仕事が楽しくて、
見るもの聞くもの、その全てを吸収したい!って思っていたあの頃の自分、恋をして傷ついて、そして又、恋をしていたその思い出さえも甘くほろ苦いあの頃の自分を、ふと思い出してしまいました。

会場には、私と同じ時代を生きていただろうと思われる方達や、私よりもずっと先輩の方達もたくさんいらしていて、一つ一つの作品を長い時間をかけて愛しそうに見る目には、きっと私と同じ思いが流れている...そんな気がしました。
ファッションを勉強しているワーホリ女子から「絶対、行ってくださいネ!」って
言われていた訳がわかりました。
エレガンスとは何か?装うとは何か?女性にとってファッションとは何か?
そこに答えがありました。
2002年最後のオートクチュールの作品が展示作品の終わりでした。
あらゆる色で創られた美しいドレープのロングドレスは、静かな風に揺られ一つの
時代を創った素晴らしいデザイナーを、見送っているかのようでした。

連日長蛇の列だったサンローラン展も29日に終わりました。
本当にフランス人に愛された人だったサンローラン、サンローランが尊敬していた
シャネル、彼らは、ファッションを通して女性の生き方を示してくれました。
「人の話を聞く」「本を読む」「絵や映画を見る」事で、感動し泣いてしまう時も
ある私ですが「洋服を見る」事で、感きわまったのは初めてでした。
究めたものには、それを見た者に、素晴らしいという感動と、こういう事を教えて
くれて有難うと言う気持ちを、自然に芽生えさせてくれるものなんですね。
レポートとその傾向分析をしなくてはならず、辞書を片手に読んだフィガロの記事に衝撃を受けました。
毎年、コレクションの時期には、フィガロ新聞に毎日のファッションショーの様子が写真と共に掲載されます。
その記事には、その頃すでにパリコレのたびに新聞の紙面を大きく飾り、誰が見ても明らかに時代の波に乗っていたある有名デザイナーの事を、“何の創意工夫もない!
平凡!”と痛烈に批判していました。
日本でしたら、どんなショーを開こうと、すでに有名になっているデザイナーに対しこんな批判めいたコメントは絶対載せません。
“あそこが素晴らしい!”とか、“新しいモードが生まれた!”とかが多く、多分書いたとしても“少し精彩に欠けた感じがする”位ではないでしょうか。
有名だからと言って媚びたりせず、自分の好みで批判をしている訳でもありません。
そこには
“私達もファッション記者として日夜真剣に勉強して貴方達のショーを見に来ている。
だから、貴方達もプロならそれなりの仕事をしなさい!”
という気迫が感じられました。
こういう厳しい目があるからこそ、プロはよりプロになっていくのかもしれません。

2年前の6月に亡くなり、そしてプチパレで、この方のエキスポジションが開かれ
ました。
行こうと思いながら、ギリギリになるのはいつもの事でしたが、やっと行く時間が
とれたのは、8月の中旬。

会場には、多分こういうのは業界人しか関心がないだろうと思って行ったエキス
ポジションでしたが、会場には老若男女それこそ様々な方が来ていました。
うっとりするような数々の作品を見ているうち、日本にいた若い頃、高輪プリンスで開かれたこの方の初来日のショーに行った時の事を思い出しました。
ギリギリまで来日が噂されていましたが、すでに体調を崩し始めていた頃だったのか
ショーの終わりになって、ご本人の挨拶される声が流れました。

その静かにゆっくり話す声は、有名なデザイナーにありがちな“どうだ!これが私の
作品だ!”と周りをひれ伏させるような高飛車な感じはなく、一針、一針に自分の愛を吹き込んだ作品を“見て欲しい、愛して欲しい、着て欲しい”という気持ちが、溢れて
いました。
そして、ご本人の言葉通り、次々と美しいマヌカンによって紹介される数々の作品は単なる服ではなく、まるで命が吹き込まれたかのような素晴らしいものでした。
そして今、目の前に陳列されているサファリスタイル、スモーキングスタイルの数々そしてフォークロア、シースルーなどの服は、みんな私が通った時代のものでした。
暗い会場に、素晴らしい保存状態で並べられた作品を見ながら、どう生きていいか
分からず、自分自身をもてあましていた時もあったあの頃の自分、仕事が楽しくて、
見るもの聞くもの、その全てを吸収したい!って思っていたあの頃の自分、恋をして傷ついて、そして又、恋をしていたその思い出さえも甘くほろ苦いあの頃の自分を、ふと思い出してしまいました。

会場には、私と同じ時代を生きていただろうと思われる方達や、私よりもずっと先輩の方達もたくさんいらしていて、一つ一つの作品を長い時間をかけて愛しそうに見る目には、きっと私と同じ思いが流れている...そんな気がしました。
ファッションを勉強しているワーホリ女子から「絶対、行ってくださいネ!」って
言われていた訳がわかりました。
エレガンスとは何か?装うとは何か?女性にとってファッションとは何か?
そこに答えがありました。
2002年最後のオートクチュールの作品が展示作品の終わりでした。
あらゆる色で創られた美しいドレープのロングドレスは、静かな風に揺られ一つの
時代を創った素晴らしいデザイナーを、見送っているかのようでした。

連日長蛇の列だったサンローラン展も29日に終わりました。
本当にフランス人に愛された人だったサンローラン、サンローランが尊敬していた
シャネル、彼らは、ファッションを通して女性の生き方を示してくれました。
「人の話を聞く」「本を読む」「絵や映画を見る」事で、感動し泣いてしまう時も
ある私ですが「洋服を見る」事で、感きわまったのは初めてでした。
究めたものには、それを見た者に、素晴らしいという感動と、こういう事を教えて
くれて有難うと言う気持ちを、自然に芽生えさせてくれるものなんですね。
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by kanafr
| 2010-08-30 11:15
| 映画、エキスポジション
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